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借金が信心の機縁に【金光新聞】

娘は生きてはいまい

 「わが家の信心の始まりは、父がある人にお金を借りたことがきっかけなんです」と、信心のルーツを語る道江さん(74)。【金光新聞】

 父である正太郎さんから何度も入信のきっかけとなった出来事を聞かされてきました。それは、今から70年以上も前の昭和11年のことでした。

 目に疾患のあった道江さんの弟は、手術の必要に迫られていましたが、その時、ちょうど自宅を建築中で、お金を借りられるところからは、既に借り尽くしていました。

 さらに当時、10歳だった姉に原因不明の頭痛が続き、医師からは「もう助からない」と言われたのです。正太郎さんには、家の建築費に加え、2人分の治療費を用意するすべはありませんでした。悩んだ末に、地域の人が信頼を寄せていた松田徳治さんのところに相談に行ったのです。

 松田さんは、「それはさぞかし困っていることだろう」と、お金を用立ててくれ、さらに子どもたちの状況を知ると、「金光教の教会に参らんか。私は広大なおかげを頂いている」と、教会に参るよう勧めました。正太郎さんは半信半疑でしたが、子どもたちを助けたい一心で、言われるままに、教会に参拝するようになりました。

 松田さんはさらに、「どうしてもおかげを頂かんといかんから、岡山県にあるご本部に参ろう」と、正太郎さんを誘いました。しかし、まだ参拝を始めたばかりで、おかげの実感もない正太郎さんは、気乗りがしませんでした。でも、お金を借りた手前、嫌とは言えず、何より松田さんの態度が真剣そのものだったので、腹を決めて参拝することにしたのです。

 道江さんの家は、駅から40キロメートルも離れた所にあり、さらにご本部までは、駅から汽車で丸一日かかります。正太郎さんは、「おれが帰るまで、娘は生きてはいまい」と覚悟を決めて、葬儀のことを指示した上で出発しました。

黒い血の固まりが

 バスと汽車を乗り継いで、ようやくご本部に着き、三代金光様にお届けしたところ、「はい、はい」というお返事が返ってきました。

 ご本部参拝から戻り、駅で会った近隣の人に正太郎さんが、「誰か死んだ話は聞かんか」と尋ねると、「いやそんな話は聞かん」と言われ、「まだ、なんとか命があるのか」と思い、家路を急ぎました。

 家に帰り着いた正太郎さんは、わが目を疑いました。そこにはなんと、寝たきりだった娘さんが、楽しそうに遊んでいたのです。正太郎さんは、その時初めて、「神様!」との思いが込み上げ、おかげを頂いたことを自覚しました。

 後で話を照らし合わせると、正太郎さんが金光様にお届けした時間に、泣き叫んでいた娘さんの鼻から、黒い血の固まりのようなものが出て、それで痛みが止まったということでした。それ以来、正太郎さんは熱心に信心を続け、「あの時のうれしさとありがたさを忘れてはならない」と、道江さんをはじめ、子や孫に、この出来事を事有るごとに話して聞かせました。

 道江さんは、父親である正太郎さんがおかげの元を繰り返し伝え聞かせてくれたことや、信心を始めるきっかけとなった、「この神様を信じていけば間違いなく助かる」という松田さんの強い信念と祈りがあったからこそ、今があると、信心の機縁の不思議さと、それを伝えていくことの大切さを、あらためて思わせられています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2008/12/26 11:49:33.063 GMT+9



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