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立教150年の新春をお迎えして

この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進める

 いよいよ立教百五十年の新春をお迎えし、あらためて身の引き締まる思いがする。【金光教報-天地】

 このお年柄をお迎えするに当たっては、教団の基本方針の副題である「この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進める」を願いに、諸準備を進めてきた。

 まず、「立教百五十年記念 金光教講演会」は、基本方針の副題を統一テーマに、信奉者が一堂に集い、共にこの道に生かされていることを喜び合い、この道の信心内容を確認し、めいめいが頂いているおかげの事実に思いを寄せ、日々の生活のなかで少しでも神様の喜ばれる信心へと展開させていただくことを願って取り進めてきた。すでに国内八会場で開催され、北米区域・ハワイ区域でも、同じ願いと内容をもって開催された。本年も引き続き一月から七月にかけ、全国三十四会場で開催される。

 また、本年五月から七月にかけ、新たに竣工する金光北ウイングを主会場に、六回に分けて教会長信行会が開催される。具体的には、教主金光様の御取次を頂きつつ、「結界取次の充実と助かりの実現」をテーマに、これまで進めてきた教会布教研究会の成果を用いて、講話や班別懇談、参拝や神習などの内容をもって開催される。

 さらに、この一月一日から一年間、全教で定時のご祈念や集会時に、「立教百五十年御礼祈願詞」を奉唱させていただく。そのなかで、とくに八月八日から十一月十五日までの百日間を「立教百五十年信行期間」と定め、あらためて神様のお働きとここまで受けてきたおかげにお礼を申し、この道の信心の中心たるお広前奉仕と御取次を心新たに頂き直し、それぞれの信心生活の展開に取り組ませていただきたい。

 そうして、秋の「立教百五十年生神金光大神大祭」と「立教百五十年立教記念祭」を、全教の祈りを結集してお仕えさせていただきたいと願っている。

 なお、教会布教研究会で編さんする書籍と、布教部で制作を進めているアニメ『金光さま─とりつぎ物語』は、秋の記念大祭時の各教会への直会(なおらい)にさせていただく予定である。

日々元日の心で

 教祖様は、「正月は一年中のことを祝うので、まことにめでたいものじゃ。よって、氏子は腹が立っても、三が日じゃ、怒るな怒るなと言うじゃろう。よってのう、日々元日の心で暮らしてのう、日が暮れりゃ大晦日と思い、日々うれしゅう暮らしますのじゃ。そうすれば家内に不和はないのじゃ。日々うれしゅう、元日の心で暮らせばよいのう」と教えられている。

 当時の一般的な正月行事は、年神(歳徳神)をまつる神棚を調え、注連縄(しめなわ)を飾り、鏡餅(かがみもち)、干し柿(がき)、橙(だいだい)、鯛(たい)、鰤(ぶり)、昆布などの吉例の食物を供え、一年の農耕や家業安全、家族の無事繁栄を願うものであった。それは、新年という特別な時を迎えて、「神様の時間」を神様と共に過ごそうとする人々の心の現れであり、神様をお招きしたその時に、腹を立てれば、神様の前で腹を立てることになる。そのため、周囲の者が「三が日じゃ、怒るな怒るなと言う」のであり、それがまた、当人に受け入れられていたと言えよう。

 他方、「神様の時間」ということでは、村の氏神祭りなどの行事もあった。その祭り日には、宵(よい)から「今月今日」と書いた灯籠(とうろう)が神社に至る参道に並べられており、そこから「今月今日」は神様と共に時を過ごす、特別な日として意識されるようになったという。年に一度の祝い日、祭り日、吉日などの日が「今月今日」ということであるが、その「今月今日」には争いごとをしないということが、人々のなかに当たり前のこととしてあったようである。

 現代人がどうなのかはともかく、当時の人々の生活には、そのように神様のことが意識され、それによって人と人との間に「あいよかけよ」の端緒が生まれるひとこまがあった。とはいえ、そういう人々も、正月や氏神祭りが終わると、日常の生活意識へと戻り、神様の前で時を過ごす、神様と共に生きているという感性を忘れていく。そこで教祖様は、一年三百六十五日を、「日々元日の心で暮らし」「日々うれしゅう暮らし」ていく、または、「今月今日」という特別な日として神様にお礼を申し、お願いを申していく信心生活を進めていけば、そこに新たなおかげの事実が生まれてくると教えられたのである。

 立教百五十年のお年柄をお迎えして、このような教祖様の教え、そして、そこに込められた天地金乃神様の願いを頂き直し、共々にここからの信心生活の展開を図ってまいりたい。

メディア 文字 巻頭言 

投稿日時:2009/01/05 15:37:48.858 GMT+9



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