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別解の発見が幸福へと導く【金光新聞】

もう一つの答え-「格差社会」の中で-


 「格差社会」が喧(けん)伝されるようになって久しい。昨年秋には、百年に一度という世界的経済危機の波に日本ものみ込まれ、影響の拡大と長期化が懸念されている。多くの人々が不安や困難を抱える今日に、信仰者はどう向き合うべきなのか。「格差社会」については、「そもそもこれは経済格差で、物の豊かさを物差しにしている限り、格差そのものはなくならない。その物差しを持ち出す考え方を問題にしなければ」という声がある。

 そうなのである。経済問題としての「格差」が現実問題として身に迫り、閉塞(へいそく)感や自己嫌悪にさいなまれ、苦しんでいる人が多くいるという「社会問題」になっている以上、金光教としても見過ごすわけにはいかない。

 特に、この「格差」の中で志を持って挑戦しても、失敗すれば自己責任にすり替えられて、余計につらくなり、将来への希望を失って、生きる意味をつかめなくなった若者が増えている現実があるのだから、なおさらである。

 昨年6月に起きた秋葉原の無差別殺傷事件の報道では、容疑者と格差社会の問題とのかかわりを指摘する論調が目立ったが、精神科医の春日武彦氏のコメントが私に響いた。将来の夢を描けない若者が、その怒りを爆発させるしか選択肢がなくなっている状況を踏まえて春日氏は言う。「あなたはマイナス思考で論理を組み立て、絶望したり、怒ったりしている。もっとおおらかになった方がいい。唯一無二のようにあなたが信じる価値観も、周りから吹き込まれたに過ぎないものが多い」と。

 精神を病むとは「優先順位」に異変が生じることだそうだ。例えば、どんな楽しみや喜びよりも死を優先順位の上に置くと自殺を決意することになる。春日氏は心の穏やかさを取り戻すために、自分の優先順位を冷静に見直すことを勧める。

神様に問いを向け、取次でその問いを考え求める

 「物の見え方が変わることに、生きることの楽しさがあります。精神の健康さとは、唯一と信じ込んでいる生き方の『別解』を考えられることなのです」

 自分が信じ込んでいる生き方と、まったく違うもう一つの答えを探したり、出合ったりすることが、生きる楽しさを生むというのだ。

 そこで、金光大神様のご理解を思い出す。

 「ある時、『私は長らく信心させてもらっていますが貧乏で困ります』と申しあげたら、『貧乏といって、食べない時があるか』とおたずねになった。『いや、食べられないことはありません』と申しあげたら、『いくら金や物を積み重ねていても、食べられないことがあってはどうにもなるまい。まめ(健康)で麦のご飯が食べられれば、それが分限者(金持ち)ではないか』と仰せられた」(塩飽きよの伝え)

 金光大神様は見事にもう一つの答えを指し示した。これで塩飽氏は物の見え方が変わり、世界が開かれ、救われていったのである。

 ある哲学者が、「幸せっていうものは求めるものじゃないんだな。『幸せっていったい何だろうか』と考える人が幸せになっていくんですね」と、語っていた。

 神様にこの問いを向け、取次でその問いを考え求める時、もう一つの答えに出合い、生きることが楽しくなっていく。幸せになっていく。金光大神様の信心は、だからすごい。

投稿日時:2009/03/12 13:40:13.895 GMT+9



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