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驚くべき神様の計らい【金光新聞】

一度ならず二度までも

 「すまん。出てしまった」。私(42)の後ろに座っていた父(65)の声に振り返ると、手に持つビニール袋が吐血で赤黒く染まっていました。それは、今から5年前、4月の本部大祭参拝から帰るバスの車中の出来事でした。

 当時、私はそれまで教員として勤めていた中学校を退職し、5月には金光教の教師を養成する金光教学院に入学するため、その準備を進めていた時でもありました。

 程なくして、バスが教会に到着すると、すぐに父を自家用車に移して、最寄りの病院に走りました。

 受付で事情を説明すると、まずはレントゲン検査を行うことになりました。父に付き添って私もレントゲン室に向かうと、部屋の前に立っていた女性が、「あら、どうしたんですか」と、声を掛けてきました。

 よく見ると、その女性は先日、教会で交通安全祈願をさせてもらった親せきの女性でした。私が、「父が吐血したのでお願いします」と言うと、彼女は「任せておいて」と、力強く応え、父を連れて検査室に入っていきました。

 しばらくして出てきた彼女から、「6階の集中治療室のベッドが一床だけ空いてるので、お父さんを連れていってください」と指示され、私はすぐにエレベーターで6階へと向かいました。

 エレベーターが到着し、ドアが開くと、そこには見覚えのある若い医師が、待ち受けてくれていました。

 「先生、どうしたんですか?」。そう私に問い掛けたその医師は、私が教員時代に指導していた剣道部の教え子だったのです。私は驚きながら、事情を説明すると、彼は「任せてください」と言って、父を連れて集中治療室へと入っていきました。

 一度ならず二度までも、知人と再会し、私は「こんなこともあるんだな。運がいいな」と思いながら、事務手続きを始めました。

これはもう、偶然なんかではない

 すると、再び「あれ、先生じゃないですか」と、声が掛かったのです。顔を上げると、目の前に医療事務の女性が立っていました。なんと彼女も、かつて私が担任したクラスの教え子だったのです。教え子の二人とは十数年ぶりの再会でした。こうして、知人や教え子たちに次々と再会し、父の世話をしてもらうことになったのです。

 私は、「これはもう、偶然なんかではない。神様、金光様、ありがとうございます」と、身の震える思いでした。教祖様の教えに、「信心していれば、目に見えるおかげより目に見えないおかげが多い。知ったおかげより知らないおかげが多い」とありますが、神様は目に見えるほどのおかげを下さったのです。

 検査の結果、父の疾患は発症が8例しかない、極めて珍しいものだと判明し、専門医の方々が医療チームを組んで治療に当たってくださることになりました。

 その後、1カ月の入院治療を経て、5月13日に退院のおかげを頂きましたが、その日はくしくも、私が金光教学院に向かう前日で、私は無事に15日の入学式を迎えることができたのです。

 あの時のことは、全て神様のお計らいの中での出来事だったと、今、元気でご用に当たる父を見ながら思います。同時に、目に見えるおかげの元にある「目に見えないおかげ」にも気付かせてもらい、今では私の人生上の指針にもなっています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
メディア 文字 信心真話 よい話 金光新聞 

投稿日時:2009/07/24 12:02:43.597 GMT+9



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