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本年を振り返って

 平成二十一年、立教百五十年の年も余すところ一か月となった。 
 教主金光様のご祈念、御取次のもと、教団活動の基本方針に「世界・人類の助かりに向けて、金光大神の信心を求め現す─立教百五十年を迎え、この道のおかげの自覚をもとに、信心生活を進める」を掲げ、とりわけ、「立教神伝」が下がり、それを受けられるに至る金光大神様のご信心をあらためて求め、今日の時代社会に現してまいるべく、この一年、教団の諸活動に取り組ませていただいた。

 昨年から海外も含めて全国四十四会場で開催された「立教百五十年記念 金光教講演会」では、各講師が自身の体験や先人方の足跡に、この道のおかげの事実をたどりながら、信心に生きる助かりと喜びを語られた。また、祭場の耐震補強工事、北ウイング建設のうえにもお繰り合わせを頂き、寄せられた篤(あつ)い真心の由(よ)って来るところに、あたらめてその尊さを思わせられた。

 さらに、五月から七月にかけて、ご霊地で六回にわたって開催された「教会長信行会」では、開会に当たって、教主金光様から、

 「教祖様が、神様を神様と立て仰がれ、どこまでも親神様のおぼしめしに添うて、おかげを受ける道を、身をもってお示しくださいましたところから、『神も助かり、氏子も立ち行く』この道が開かれてまいったのであります。教祖様のご信心、そこにかけられた親神様のみ思いに、あらためて思いをいたし、いよいよ、神と人とあいよかけよで立ち行く『神人(かみひと)の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいりますよう、共々に心をこめてお役に立たせていただきたいと願っております」

とのおことばを頂き、「神の喜び、神の助かり」を焦点として、教主金光様御取次のごひれいのなかに三日間寝食を共にし、講話と班別懇談をもって、教団のここからの方向性と各自の取り組むべき課題を求め合った。

 こうした取り組みのなかで、あらためて気づかされるのは、親神様のみ心に添うことを貫かれる教祖様をはじめ歴代金光様、そこに触れた直信方とその薫陶(くんとう)を受けた先覚先師のあられように、絶えず「これで神様のご機感にかのうているでございましょうか」という問いが息づいており、そこに根差したお取次、ご用であられるということであった。

 『立教─そこに生まれ来るもの─』と題して今秋刊行された『教学叢書3』に、次の一文が引用掲載されている。

 「蟻がわがまま放題に行列を作っているような、赤ん坊が不恰好に積み木を重ねたような、偶然で無秩序で取り留めのない数字の羅列が、実は筋の通った意思を持っているのだから、手に負えない。神様の計らいは底知れない。しかもその計らいをきちんと察知できた人間がいるのである。彼らが払った労苦に対し、私を含めたその他大勢の人間は、正当な感謝を示してはいないのだけれど」(小川洋子『博士の愛した数式』新潮文庫)

 これは、数学者である博士の印象として語られているのだが、神様のご機感にかなうことを行じつづけられた教祖様や先人方の歩みを、ほうふつとさせてくれる。同時に、さまざまな問題に出合いどおしのわれわれが、この道の信心によっておかげを受けてきている底に流れつづける大きな脈動でもあろう。さらに言えば、教団や教会が、社会存在として規則や体制を整え、求められる各種の活動をもって、世に向かって営みを進めているなかで、今日、「教会布教」と「教団布教」をもって「教団の布教」と押さえ直し、結界取次の充実が根差すべきところとも見て、ここから将来に向かって、何をもって「布教」とするのかを、折々に求めてきているうえで、重要な視点になるのではなかろうか。

 信奉者であるわれわれ一人ひとりも同様に、そうした社会存在であり、社会の規範や価値観といった現実のなかに、困難や問題と向き合いつつ生を営んでいる。しかし、だからこそ、そこにかけられる親神様の深く大きな願い、すなわち、至らぬだらけのわれわれを「神の氏子」と取り立てて描こうとしてくださる「神も助かり、氏子も立ち行く」世界への道筋、そこにあずかる「人を助けて神なる」「ここに神が生まれる」存在としての可能性と役割を、しっかりと手元の信心生活に頂く決意をもって、平成二十二年の新年をお迎えしたいと願う。

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投稿日時:2009/12/10 09:51:20.199 GMT+9



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