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ミキサーは命ある相棒【金光新聞】

キュルキュルキー

 「キュルキュルキー」。わが家で33年間使ってきたミキサーが、異様な音を立てて止まりました。その瞬間、「しまった!」と、私(62)は心の中で叫んでいました。
 幸い、中身のジュースは無事でしたが、ミキサーの方は回転軸部分がバラバラに壊れてしまいました。長い間愛用してきたミキサーでしたが、ここ数年はあちこちにガタが出てきて、中へ入れる材料を少なくしないと、うまく回らなくなっていたのです。
 ところが、その日の朝は、バナナが傷みそうだからと、いつもより多く入れてしまったのです。
 落ち込む私に夫は、「寿命だよ。長年使わせてもらったのだから、しっかりお礼をして捨てさせてもらいなさい」と言ってくれました。
 しかし、「もう少しいたわってあげれば、まだ働いてくれたかもしれない」と思うと、私の心は晴れませんでした。
 私は夫から言われたように、処分する前にミキサーをきれいに磨き上げながら、「長い間、働いてくれてありがとう。ご苦労さまでした」と、語り掛けるように、そのミキサーにお礼を言いました。
 その時、何とも言えない別れ難さとともに、初めてミキサーと出合った日のことが、私の脳裏に鮮やかに思い起こされたのでした。

 私は33年前に、金光教の教師である夫のもとに嫁いできました。その年は、夫がご用していた布教所が教会として認可された年でもあったのです。このミキサーは、夫の親友である三人の先生方が結婚祝いにとお金を出し合って贈ってくださったものでした。
 当時、ピカピカのミキサーは、布教してまだ年月の浅い教会の生活の中で、唯一、私に新婚生活の始まりを感じさせてくれる家電製品でした。

物にも命がある

 以来、私は神様のお下がりを粗末にしないよう、また、家族の健康に配慮した食事を心掛け、ミキサーはその良き相棒となってくれました。
 とりわけ夏場など、野菜や果物の傷みやすい季節には、冷凍できるスープやジュースなどにして保存食としたり、4人の子どもたちの離乳食や、添加物のない食パン作りなど、大いに活躍してくれました。これまで、私たち教会家族の健康のために、ミキサーはいつの時代も全力で働いてくれていたのです。
 私は、物にも命があると思わずにはいられません。その命ある物を、私たちは使わせて頂く以上、決してそれを粗末にしてはいけないと心に念じています。

 今日では、何でも安く買える時代になりました。そうした中で、傷みが進み、年々使いにくくなっていくミキサーに接しながら、新しい物への買い換えを考えたこともありました。しかし、これまでの愛着からどうしても踏み切れず、ミキサーには苦労を掛け続けることになりました。
 でも、苦楽を共にした仲間として接してきたからこそ、ミキサーもきっと私の期待に応えて、その寿命が尽きる時まで、懸命に自分の役目を果たしてくれたのだと思えてならないのでした。
 わが家の台所には、このほかにもまだ、30年選手の道具が幾つかあり、そのどれにも思い出がいっぱい詰まっています。それらの物に対して、これまで以上に心を込めて、大切に使わせて頂かなくてはと、私は感謝の気持ちを新たにしたのです。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2010/01/03 11:16:10.830 GMT+9



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