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秋季霊祭をお迎えして

金光教報 『天地』 9月号巻頭言

 秋分の日を迎える九月となり、本部広前はじめ各地の教会で秋季霊祭が仕えられる。
 教祖様は、「立教神伝」を拝受される前年、先祖の精霊から、「戌の年さん、おまえが来てくれられたで、この家も立ち行くようになり、ありがたし。精霊御礼申し上げ」との礼言を受けられた。教祖様の信心によって先祖が立ち行くようになったということで、先祖のみたま様にとっては、このうえもなくありがたいことであったろう。
 また、教祖様は、「ご信心しておくがよい。ご信心してあなたがおかげを受けると、あなただけではない、後々の孫、ひ孫の末の末までおかげを受けるし、また、ご祖先ご祖先の精霊御霊までが、あなたがご信心して、おかげを受けてくれるからと、安心してお浮かびなさる。あなたの受けたおかげは、いつまでも離れずについてゆくものじゃから、できるだけこの世でご信心して、おかげのもとを作っておくがよい」と教えられている。
 私たちもまた、信心を進めることで、私たちが助かるだけでなく、みたま様も助かり、子孫も助かる教祖様のようなおかげを受けられることを、お示しくださっているのである。
 そして、教祖様ご自身の信仰体験に裏打ちされたこうしたみ教えを、直信、先覚、先人が頂かれ、現されて、この道の信心が今日へと伝えられている。そのようなお道の信心を進めている私たち信奉者は、今、みたま様が救われ、喜んでくださるような信心になっているのかどうか、あらためて自らの信心が問われてくる。

 ある先師は、第二次世界大戦時、予科練に入隊し、特攻隊を志願した。厳しい訓練を受け、台湾で出撃直前に終戦となり、生命のおかげを頂いた。次に紹介するのは、その先師と戦友の後年の会話である。
 戦友「 あんたは『俺は絶対に死なない』と言っていたから、あんたといたら死なないような気がしていた」
 先師「 特攻隊に志願して死にに行っているのに、そんなことを言う訳がない」
 戦友「 いいや、あんたはそう言っていた」

 以前に、この二人の会話を聞かせてもらい、おかしな話だぐらいに思っていた。ところが最近、その先師の祖父であり、師匠でもある師の言葉に出合わせられた。
 「親に先立つ者は不孝者といわれておるが、おまえが死んだのは不孝ではない。これは深い神様のみ計らいであると思う。おまえはこの父に、本当の親心というものを分からせてくれた。この経験が、これから多くの人の助かる元になると思う。おまえを犬死にはさせぬ。そして、これからの自分は一人ではない。おまえと二人の自分である」
 これは、師匠が子息を亡くされた時の言葉である。この師匠の言葉に出合って、はじめて先師の思いが響いてきた。〈志願して特攻隊に入っているのだから、いずれ死んで現身は亡くなるが、自分は決して死にはしない。魂は生きどおしに生きて、師匠のなかに生き、師匠と共にご用させていただくのだ〉というような心持ちが込められていたではないか。そのように気づかせられ、ありがたく尊いみたま様と人との命の通い合う関係を思わせられたのである。
 教祖様は、「生きている間も死んだ後も天と地はわが住みかである。生きても死んでも天地のお世話になることを悟れ」とみ教えくださっている。人間中心に生死を見れば、生と死は正反対のことと考えてしまう。しかし、天地を中心に人間の死を見れば、生と同様、死も天地のなかでのこと以外にはありようがない、と頂くことができよう。 
 このたびの東日本大震災では、たくさんの方々が亡くなられた。みたま様の道立てを祈らずにはおられない。現身は亡くなられたが、みたま様は天地のなかで生きておられる。今、親神様は亡くなられたみたま様をしっかりと抱きしめられ、みたま様方は親神様の懐に抱かれておられることであろう。そして、親神様と共に被災した家族のこと、人々のこと、復興のことを、願ってくださっているものと思わせられる。
 親神様、みたま様の願いは、私たちにもかけられている。どうあれば、亡くなられたみたま様が立ち行かれるのであろうか。「人が人を助けるのが人間である」「人間は病苦災難の時、神や人に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのが人間であると心得て信心せよ」とみ教えくださっている。これよりいっそう信心を進め、共々に「人が助かる」お役に立たせていただくことによって、みたま様が助かり、立ち行くことになるようなおかげをこうむってまいりたい。

メディア 文字 巻頭言 天地 

投稿日時:2011/09/02 14:45:03.417 GMT+9



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