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天地金乃神大祭を迎えて─神が助かる

金光教報『天地』 4月号巻頭言

 柔らかい日差しのなか、鳥がさえずり、草木の芽が萌え出て、新しい息吹きを感じさせる春が巡ってきた。
 「春風に似たるこころをもちたしと吹く春風に吹かれつつおもふ」
 四代金光様のお歌に、心が和み、安らぐ。今年も、天地金乃神大祭が、教主金光様ご祭主のもと、三月三十一日、四月四日、七日、十日の四回にわたって、本部広前祭場で執り行われ、そのごひれいを頂いて、各地のお広前でも同様に仕えられる。
 「天と地の間に人間がいる。天は父、地は母である。人間、また草木など、みな天の恵みを受けて、地上に生きているのである」「天地は生き通しである。天地が生きているから、人間もみな生きていられるのである」
と、教祖様がみ教えくださっている。万物は、天地の大いなるいのちのなかで、等しくお恵みを受け、生かされて生きている。天地金乃神様は、あらゆるものを生かし育むいのちの根源であり、とりわけ私ども人間にかけられた願いは深く、「人間がおかげを受けてくれなければ、神も金光大神もうれしくない。人間がおかげを受けないで苦しんでいるようでは、神の役目が立たない。人間が立ち行かなければ、神も金光大神も立ち行かない」とまで仰せられる親神様である。
 しかし、人間は、「天地の間に氏子おっておかげを知らず」との神様のお言葉にあるように、天地金乃神様のおかげの世界を知らずに、難儀をしている。神様はそのことに心を痛められて、生神金光大神様を人の世に差し向けられ、その生神金光大神取次のお働きによって、私たち信奉者は今日まで救い助けられてきている。
 佐藤範雄師が残された記録に、大略、次のような話がある。
 「明治十九年、地方に出向いている教師が、十人から十四、五人集まって、布教状況などを話し合う懇話会が始まった。ところが、四、五年たつと、みんな信者を連れて参るようになり、信者が帰りを急ぐことから、今日は先に帰るという具合になって、とうとう懇話会ができなくなった。それが今では、このように大きなお祭りができるようになった」
 わずか十数人のお道の教師が集う懇話会に始まった春の祭典が、今では本部広前祭場に数万人が集う祭典となった。それは歴史を経て、自然にそうなっていったということではない。教祖金光大神様に始まる、世界の人々を助けたいとの願いを受けた人々が、そのお働きを自らも現し、親から子へ、人から人へと伝えていかれた、尊いお道伝えの積み重ねがあってのことである。
 教祖様は、「此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である」とのお言葉を、神様から頂かれた。神様とされては、おかげを授けて導きたくても、神様だけではどうすることもできない。そこで、生神金光大神様を差し向けられ、その生神金光大神取次によって、難儀な氏子が助かり立ち行く道がつくようになった。 そこに、「神が助かる」というこの道の信心の大切な世界が生まれたのである。
 教祖様は、事柄や問題の解決を願う人々に、人間はすでに、天地の間のおかげのなかで生かされて生きているのであり、そのことに気づくことで、不平不足や我情我欲にとらわれた生活から、神恩に感謝する生活へと生き方が展開していき、そこにおかげが生まれるという「天地乃神の道」を教え諭された。すべての事柄は、天地のお恵み、お働きのなかでのことであり、お礼と喜びの生活を進めていく稽古をさせていただくことが、「神人あいよかけよの生活運動」で願われていることである。
 そして、神様は、「天地乃神の道を教える生神金光大神社立てぬき、信者氏子に申しつけ」とお知らせになった。教祖様だけでなく、私たちもまた、神様から「天地乃神の道」を伝えて、人助けのご用に立ってくれよ、との厚き願いをかけられているお互いである。
 天地金乃神大祭をお迎えするに当たり、あらためて天地金乃神様のご神願と教祖金光大神様のご信心をよりいっそうに頂き直し、「神人あいよかけよの生活運動」に取り組んで、少しでも親神様にお喜びいただける信心、「神が助かる」と仰せになる信心にならせていただきたい。

投稿日時:2013/04/06 10:07:40.217 GMT+9



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