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平和活動と社会活動─難儀を見据えて

金光教報 『天地』 7月号 巻頭言

 本教信奉者は、日々、神前拝詞を奉唱し、「総氏子身上安全世界真の平和のご神願成就せしめたまえと願いまつる」とお唱えしている。そして、七月には各地で、本教の平和集会が開催される。それらは、教祖様が明治元年に頂かれた、「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全の幟染めて立て、日々祈念いたし」とのお知らせに込められた神様のみ心に基づいてのものであるといえよう。
 また、七月二十日の「全教勢をそろえて社会奉仕の日」を中心に、全教でさまざまな社会活動が展開される。「人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。… 人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ」「わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてやるがよい」との教祖様のみ教えに示される、信心する者にかけておられる神様のおぼしめしを受け現そうとするものである。
 平和活動や社会活動は、世と人の助かりを願って行われる信心実践であり、広く社会・世界の難儀に目を向け、わが信心を省みる契機にもなるものである。
 東日本大震災では、少年少女会連合本部や金光教首都圏災害ボランティア機構、大阪災害救援隊など、多くの信奉者が復興支援活動に参加され、現在も現地の状況に応じて支援の形を変えながら、続けられている。そこでは、困っている人々を助けたいというボランティアの心を含みながら、さらに、難儀に苦しむ人々にかけられる神様の深い悲しみと慈しみのお心に思いを寄せ、神様から「共に助かる」ことを願われているお互いとして、神の氏子として共に生き、共に助かることを願う、信心実践が行われている。
 また、一昨年の「教師子弟の集い」は、フィリピンでスタディツアーとして実施された。今日の日本は、物質的に豊かとなり、お金さえあれば何でも手に入る世の中になっているが、物が豊かになればなるほど、心の豊かさが失われ、難儀が増えているように感じられる。感受性豊かな年代の教師子弟が、世界・人類が抱える貧困や人権差別といった人間や社会の難儀に触れることによって、自分の価値観や生き方を問い直し、生きるうえで何が大切なのかを学び、神様の願いに生きていく神の氏子としての自覚や使命感を、より深めてもらいたいという願いのもとに企画された。参加した高校生たちは、貧富の格差、差別といったさまざまな難儀の根深さに、強烈な印象を受けるとともに、懸命に生きる子どもたちの姿に、それまでの自身の生き方を大きく問われたようであった。
 スタディーツアーは、金光教平和活動センターの協力を得て行われたが、同センターは、世界最初の被爆地である広島で生まれ、「一食を捧げるチャリティー献金」を展開し、フィリピン、タイ、カンボジアの貧困地域に住む子どもたちの教育と、生活支援を実施してきて、本年で設立二十五年を迎えている。国際協力NGOを持っている宗教教団は多くあるが、宗教名を冠して活動しているのは金光教平和活動センターだけである。本教信奉者を中心にして、本教の信心に基づいて活動していることを、社会に表明している。同センターでは、諸事情から中止されていたスタディーツアーを、本年から再開することになった。
 「神心となって 人を祈り 助け 導」く信心実践の一つのあり方として、信奉者個々のところで、また、教会やさまざまな団体で、平和活動や社会活動が展開されていくことはありがたいことである。
 「天地の間に氏子おっておかげを知らず」「天地の間のおかげを知った者なし」とのお知らせに示されるように、人間のいよいよの難儀は、「人間の親神である天地金乃神様がおられる」ということ、「その神様のお体である天地の間に、人間は許されて生かされ、生きている」ということを知らないところから、何事もわが勝手にして、前々の巡り合わせで難を受けているということであろう。天地金乃神様のおかげの世界を知らせていくことが、難儀な世と人々を本当に救っていくことになる。平和活動や社会活動に取り組む信奉者のあり方をとおして、「御取次を願い 頂き」「神のおかげにめざめ」「お礼と喜びの生活をすすめ」る信心生活に現れてくる、天地金乃神様のおかげの世界が伝わっていくことを願うものである。

投稿日時:2013/07/05 15:22:52.318 GMT+9



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