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旅先で聞いた天地の話【金光新聞】

「雨が降らんとその弁当も食べることはできんのやで」

 東京で大学生活を送っていたころ、友人と6人で四国一周の旅をした時のことです。
 雨の中、松山に向かう列車の中で、居眠りをしていた私が目を覚ますと、隣の座席に座っているおじさんが、弁当を食べている私の友人たちに、何か話していました。
 降りしきる雨に友人たちが不満を言っていたようで、大阪から来たというそのおじさんは、「あんたら雨が降って不愉快になってるみたいやけどな、雨が降らんとその弁当も食べることはできんのやで」と、話し掛けていたのです。
 友人の一人が「どういうことですか?」と聞き返すと、「見てごらん」と、窓の外を指さしました。車窓には田園風景が広がり、そこで雨にぬれながら農作業をしている人の姿が見えました。

「ああやって雨の中を一生懸命働いてくれているおかげで、お米ができるんやで。それに、そのお米は雨が降らんとできへんでしょ」
「なるほど…」
「お米だけやないで。その天ぷらや肉や魚、野菜はどれほどの人の手を経て、食べることができていると思う? 天ぷらにしても、まずは麦を作る人、それを工場に運ぶ人、小麦粉に加工する人、中身のエビを捕る人、それを運ぶ人、天ぷらを揚げる人、弁当に詰める人、その弁当を運ぶ人、それを売る人がいるやろ。エビの天ぷらだけでも何十人もの人のお世話になっている。弁当の中の肉や魚や野菜、のりや漬物、梅干しも入れたら、全部でどのくらいの人になるやろか」
「百人は下りませんね」
「そうや。そのくらい多くの人の手を借りて、やっと食べれるんやで。その元の元はこうして降る雨や、おてんとさまの光があるからや。そのおかげで作物が育ち、動物たちも成長できるんや。そしてその命を頂いてはじめて、人間も生きることができる。だから、ありがたく頂かねばならんのや」

と、何とも言えない優しい雰囲気で話してくれました。

不思議な出会い

 私たちが宗教系大学の学生だったこともあり、友人の一人が「おじさんは何か信仰されています?」と尋ねました。私は「金光教の教えに似ているなあ」と思いながらも、まさかと思っていました。
 「あんたらは知ってるかな、金光教」。その言葉に、私も友人たちもびっくりしました。
 「金光教なら、おじさんの隣にいるのは教会の息子です」。今度はおじさんが驚きました。
 そうして、不思議な出会いにお互い驚きながら、その後もいろいろな話で盛り上がりました。

 おじさんが降りる駅が近づき、私たちは一人一人握手してお別れしました。その駅で、列車は待ち合わせのため15分ほど停車し、やっと動き始めた列車からふと外を見ると、おじさんが傘も差さずにホームに立っているではありませんか。慌てて窓を開け、みんなで手を振りました。おじさんはやや頭を下げ、私たちの旅の無事を祈ってくださっているようでした。そして、見えなくなる寸前に頭を上げ、何とも言えない笑顔で手を振ってくれました。私はその姿に胸が熱くなりました。
 その後、友人たちが、「四国まで来たんだから、岡山にある金光教の本部に行こう」と言い出し、みんなでご本部参拝をさせて頂きました。
 あれから30年近くたちましたが、あの日のおじさんの笑顔が昨日のことのように思い出されます。
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2013/07/30 09:14:11.245 GMT+9



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