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神様のお体をきれいに【金光新聞】

私の目の前で犬の用足し

 私(53)がご用させて頂いている教会には、道路を隔てた所に、自動車を10台ほど止められる駐車場があります。舗装してありませんので、定期的に草抜きが必要です。
 7年前に亡くなった先代の教会長は生前、駐車場に生える草を、暇を見つけては一本一本丹念に抜いていました。
 先代の跡を受けて、私が教会でご用をさせて頂くようになってからも、できるだけきれいにさせてもらおうと心掛けていますが、夏場などは少し間が空くと、あっという間に草が生えて、抜くのが大変です。
 そこはまた、人通りの多い道の角地で、中を通り抜けていく人や犬を散歩させる人もあり、そうした人の中には、ごみなどを捨てていく人もいます。
 私はそれらを目にするたびに、少し腹立たしさを覚えながら掃除をしていました。

 ある時、いつものように草抜きをしていると、私の目の前で犬の用足しをさせる人がありました。
 私が「ここでさせないでください」と注意をすると、その人は、「(ふんを)拾えばいいんだろ!」と怒気をはらんで吐き捨てるように言い、いかにも不機嫌な態度でティッシュペーパーでさっと拭き取って立ち去ろうとします。その態度に私は思わず、「そんな言い方はないでしょう」と言い返していました。
 その日は、「なぜ私があんなことを言われなければならないのか。悪いのは、他人の土地を汚すあの人の方なのに」という憤りの気持ちが心に残り、気持ちが晴れませんでした。
 その後も、犬の散歩の後始末をしない人やごみを捨てていく人があるたびに、腹立たしい気分になりながら掃除をしていましたが、そうこうしているうちに、ある思いが私の心に湧いてきたのです。
 「ごみが捨てられていることで、何が困るというのか。一時的に嫌な思いをしたり、掃除をする手間がかかったりはするけれど、ただそれだけのことで、腹を立てずにさっと掃除すれば、それで済むことではないのか」と。

信心の稽古として

 それからは、駐車場でごみやふんを見つけても面倒だと思わず、「(神様のお体である)お土地を汚してしまい、申し訳ありません」と心中で神様におわびをしながら掃除をし、捨てた人を悪く思わないように努めました。
 そうして、そのことに取り組む中で、ふと、過日のあの後味の悪いやりとりのことが思い出されました。
 「あの時、犬を散歩させていた人への私の言い方はどうだっただろうか。相手を責めるような言い方になっていたに違いない。だから相手も腹が立って、あんな言い方になったのではないだろうか」

 考えてみれば、教会の駐車場は私の土地ではなく、神様からお預かりしているものです。
 その神様のお土地をきれいにさせて頂くことは、面倒なことではなくて、むしろありがたいことではないのか。
 また、草が生え、ごみなどで汚れている駐車場のお土地は、私自身の心と信心の在り方を、そのまま見せてくださっているのではないだろうかと、気付かせられたのです。
 それからの私は、信心の稽古として、神様にお礼とおわびを申しながら駐車場の草を一本一本抜くことに取り組ませて頂いています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/01/30 10:04:03.153 GMT+9



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