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神の機感にかなう願い 【金光新聞】

苦痛なくお国替えを

 私が教会長としてご用をさせて頂き、1年がたとうとしていた夏のことでした。
 教会の信徒総代を務める加藤さん(73)が、がんを再発したのです。手術当日、妻の知子さんは教会で、手術の成功を願われました。
 しかし、開胸してみると、がんは全身に転移していて、手術のできる状態ではありませんでした。そのことを医師から告げられた知子さんは、沈痛な面持ちで「今後は、痛みなく少しでも長く命をつないで頂けますように」と、教会のお結界で願われました。
 加藤さんは2カ月間入院した後、自宅療養になりました。家族の懸命な看護が続くある日、知子さんから次のようなお届けがありました。
 「主人が言いますに、『体が弱かった自分が、親の信心のおかげで親きょうだいより長生きをさせてもらい、3人の子どもを頂き、孫も授かった。長男夫婦が信心を受け継いでもくれた。もう何も思い残すことはない』と。この上は、痛み苦しみなく、お国替え(息を引き取ること)させて頂けますように」

 加藤さんの容体は日を追うごとに悪化していき、医師からは年内か年明けまでと言われました。知子さんは「主人の願うように、どうか早く、苦痛なくお国替えを」と、繰り返し願われました。
 私は、知子さんのその悲痛なお届けをそのままご祈念させてもらいました。が、その一方で、ある疑念が生じていました。それは、「早くお国替えを」と祈念する願いの在り方に対してでした。

死に際にもお願いせよ

 この年は、教会の開教90年の年柄に当たっていました。その記念祭をお仕えさせて頂く11月、本部広前に月参りをした時、私は教主金光様に「氏子が病で苦しみ、早くお国替えのおかげをと願い、私もそれを受け、氏子が痛み苦しみなく早く神様のもとに戻れますようにと願っています。このまま願わせて頂いて、いいでしょうか」と、お取次を願いました。
 すると、お結界から「神の機感にかないません」とお言葉が下がりました。瞬時に、やはり私の願いの在り方が間違っていたと思いました。
 翌日、私は親教会に参拝し、次のようなみ教えを頂きました。「教祖様は『死に際にもお願いせよ』と、み教えくださっています。これまでお世話になってきたことにお礼申し、また、教会の総代として間近に迫った開教記念祭のことを願わせてもらいましょう」。
 私は参拝を終えると、その足で加藤さん宅を訪ねました。知子さんを傍らに呼び、肩で息をするようにして伏している加藤さんの手を取って、金光様のお言葉、親先生のみ教えを耳元で語り掛けました。語り終わると、加藤さんは、私の手をそっと握り返してくれました。
 そして、私は教会に戻ると、これまでの在り方を神様におわびしました。

 その二日後の夜、加藤さんは家族に看取られながら、安らかにお国替えしました。 記念祭には、知子さんと子どもたちのご用する姿がありました。「主人もみたま様となって、病床で最後まで願っていた通り、一緒にご用、参拝してくれたと思います」。知子さんは、そうお礼のお届けをされました。
 自分の願い成就を先に立てるのではなく、どこまでも神様の願いを頂かせてもらう取次の大切さを、私自身、このことから教えて頂きました。
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2014/05/04 17:25:45.997 GMT+9



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