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信心の系譜をたどって【金光新聞】

「自分の信心はいったいどうなったのだろう」

 今年の3月10日、私(77)はあるボランティア活動と日時が重なったために、教会の月例祭に参拝せず、ボランティアに出掛けました。
 ところが、夕方帰宅すると39度の高熱があり、病院で診察を受けたところインフルエンザと診断されました。3日後には平熱に戻りましたが、その後も体がだるくて食欲もなく、教会に参拝する元気が出ません。自宅の神前で拝礼することもせず、ひたすら眠り、目が覚めると本ばかり読んでいました。
 そんな中にも、20日は教会の春季霊祭に参拝し、翌日は、訪ねてきた友人と碁を打つなど、決して無気力だったわけではありませんが、長年続けてきた朝参りも、神前に向かうこともできなかったのです。

 「自分の信心はいったいどうなったのだろう」。そんなことを考えながら、私はふと、わが家の信心の系譜をたどってみようと思いました。
 私の信心は4代目です。曽祖父母が金光教とご縁を頂き、その後、父方の祖父母が信心を受け継ぎ、その一人っ子である私の父が母と結婚して、私たちきょうだい6人が命を頂きました。そしてそれぞれ結婚して、その子ども17人と、孫を22人授かりました。
 また、妻の家も、祖母がご神縁を頂いて代々信心を受け継いできました。まさに、子孫繁盛家繁盛の大みかげを頂いていますが、わが家の繁栄は、優性な遺伝子や勤勉努力のたまものというより、曽祖父母から祖父母、父母へと受け継がれた信心のおかげとしか言いようがありません。

子孫に残してやれるものは

 では、わが一家の信心、そして私の信心は今どうなっているのだろうか、どこまで子孫に信心を伝えられているだろうかと考えさせられたのです。きょうだい全員が信心を受け継いでいるとは言えず、子や孫らは、年に何回教会へお参りできているか分かりません。
 そのようなわが家の現実に対して、どうして彼らは金光教のご信心の素晴らしさや、みたま様たちが子孫の上を祈り続けてくださっていることを分かってくれないのだろうと、責めるような気持ちが、私の心のどこかに絶えずありました。
 しかし、それは私の心得違いでした。他の誰よりも、私自身が、弟や妹から見て、兄のようになりたいという信心になっておらず、子どもたちが、お父さんの信心を受け継ぎたいと願うような姿になっていなかったのです。私は、今回のことを通して、ようやくそのことに気付きました。
 これまでほとんど病気をしなかった私ですが、3週間、神様に向かう心もうせてしまうほど、心身共に衰えを感じた時、ふと、76歳で亡くなった父の年齢を半年超えて生きている自分の寿命を思い、あらためて子孫に残してやれるものは信心しかないと思ったのです。

 その後、だんだんと元気が出て神様に少しずつ心が向くようになって、私はこれまで健康を過信し、生かされて生きていることを本当は分かっていなかったのではないかと思うようになりました。
 今回の病気は、神様が大難を小難に祭り変えてくださったのかもしれません。神様は私に、小難を通して、真の信心の道を歩ませようとしてくださっているのです。
 教祖130年のお年柄に際し、天地金乃神様と金光大神様は、私のここからの信心に、具体的かつ明確な道しるべをお示しくださったのです。
(『金光新聞』平成25年9月1日号)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/09/08 15:33:34.982 GMT+9



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