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病室まで届いたご祈念【金光新聞】

神様から頂いた命

 私の奉仕する教会に参拝している太田喜代さんが、平成8年の10月、腸閉塞(へいそく)を起こして入院しました。
 医師からは、手術をしなければ助からないが、90歳の高齢であったことから、長時間の手術に心臓が耐えられるか分からないと言われ、家族はどちらを取るか、判断を迫られました。家族は熟慮の末、手術をしないことを選びましたが、医師からは、ここ1週間の命と告げられました。
 教会長である私の父は、お結界で喜代さんのことを願う娘の富子さん( 65)に、「たとえ医師から何と言われようとも、喜代さんの命は神様から頂いたのですから、今日の命があることを神様にお礼申し上げ、神様のお働きをじかに頂いて、おかげを頂きましょう」と話しました。

 その日以来、父も私も喜代さんの回復を祈り、毎日、病室にご神米(*)を届けました。喜代さんは丁寧にお礼を言われ、まるで神様に体へ入って頂くかのように、ご神米をパジャマの中に入れていました。また、病院からの帰りには、太田家の墓地近くに車を止めて、喜代さんの回復を祈りました。
 そうして、医師から言われた1週間目の早朝、教会玄関のチャイムが鳴り続けたので、玄関に出てみると施錠されたままで、人が入った形跡もありません。父は、太田家のご先祖のみたま様が喜代さんを心配してお参りされたと感じ、ご神前でご祈念をしました。

「家族の祈りが、神様に届いている」

 数日後、父が風邪をひき、せき込むようになりました。父は苦しそうにしながらも、ご祈念座から離れず、祈り続けました。
 ある日、私が1人で病室を訪ねると喜代さんから、「親先生がせき込みながら、ご祈念してくださる声が聞こえました。命を助けて頂き、ありがとうございます。どうぞお体を大事になさいますよう、親先生にお伝えくださいませ」と、涙ぐみながら言われました。
 それを聞いて、私は驚きました。病室に父のご祈念の声が聞こえるはずもなく、第一、喜代さんには父が風邪をひいたことを伝えていなかったのです。私は、「父と喜代さん、家族の祈りが、神様に届いている」と実感し、言いようのない感動を覚えました。
 その後、喜代さんは主治医の許可を得て、ご神米の重湯を口にできるようになり、手術をすることなく、入院から2カ月半で退院できました。
 退院から2日後、教会に着物姿で参拝した喜代さんは、お結界で涙ながらにお礼を言われ、一緒に、神様にお礼のご祈念をさせて頂きました。
 以来、喜代さんは入退院を繰り返しながらも、一時は畑で野菜を収穫し、教会にお供えするまでに元気になりました。

 こうして穏やかな日々を過ごしていた喜代さんは平成12年4月、娘の富子さん夫婦と孫、ひ孫らに見守られながら、左手にご神米を持ち、「神様のもとへ行かせてください」と言って、安らかに息を引き取りました。1週間の命と言われてから、3年5カ月もの間、命のおかげを頂いたのです。
 私たちは、神様のおかげ、みたま様の祈りの中に生かされて今日があります。あの時、なぜ、父のご祈念の声が病室の喜代さんに聞こえたのかを考えた時、真一心に祈る心は必ず神様に届き、神様へと通じるおかげの道は一つにつながっているのだと思いました。
メディア 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/09/24 17:10:43.077 GMT+9



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