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姿なくとも見守り頂く【金光新聞】

「一目でも、教会長先生にお会いしたい」

 飲食業を営む園木真さん(72)は年に1度、車で片道2時間以上の道のりを奥さん、娘さんたちと一緒に教会へ参拝し、家族の健康や商売の立ち行きを願われてきました。年に1回の家族参拝ですが、その参拝ぶりはいつも実意のこもったものです。
 5年前の1月に参拝して来られた時には、父である教会長と私が親教会に年始の参拝をしていたため、教会を不在にしていました。
 留守をお願いしていた人から、父と私が親教会に出掛けたことを聞いた園木さんは、「一目でも、教会長先生にお会いしたい」と、教会から車で50分ほどの所にある親教会まで、わざわざ会いに来られたのです。そして、父とわずかな時間でしたが話をすることができて、うれしそうにされていた姿が印象的でした。

 その翌年に参拝された時も、父は親教会の月例祭に参列するため不在でした。
 この時は親教会まで行く時間の余裕がなく、とても残念そうにお広前でうつむくようにしていました。その姿を見て、私はせめて声だけでもと思い、祭典が始まるまで少し時間があったので親教会に電話を入れ、父に電話口に出てもらうようにお願いしました。園木さんは、父と数分間でしたが話ができたことで、大変喜んで帰っていかれました。
 そうした姿勢に接しながら、園木さんのように実意な参拝が私にはできるだろうかと考えさせられました。

お社だけが燃えずに

 さて、その次の年の1月、例年のように園木さん一家が参拝してきました。この時、園木さんは、前年の11月に自宅アパートが別の部屋からの出火で全焼してしまったと話されたのです。
 その日、家族は全員外出していて、帰宅してその状況を目の当たりにし、ぼうぜん自失となりました。しばらくして焼け跡に足を踏み入れた時、家財道具など全て焼けた中で、お社(神様とみたま様を祭った箱形の宮)だけが唯一燃えずに残っていたのを見つけました。
 しかも、不思議なことにそのお社には焼け焦げた所さえなく、ほぼ無傷の状態だったことに大変驚かれたそうです。
 「最初はショックで、これから先どうしたらいいのかと途方に暮れました。でも、(教会長)先生が『神様は大難は小難に、小難は無難にしてくださる』と言われていたことを思い出し、家族にけがもなく、皆無事であったことは何よりのおかげだという気持ちになりました。神様が守ってくださったのだと思います」
 園木さんがそう話すのを聞きながら、私にはお社を通して、神様、みたま様が生きた働きを見せてくださったように感じられました。 

 神様に願っても思うようにいかない時や不都合な事が生じた時、「信心しているのになぜ」と不信にとらわれる人もいれば、「信心させて頂いていたから、これくらいで済ませて頂いた」と受け止める人もあります。
 園木さん家族は、このつらい出来事を信心で受け止めようと努め、互いに支え合いながら日々の立ち行きを神様に祈り続けています。
 時に、形あるものは思いもしないところで消えて無くなることがあります。しかし、姿形は見えずとも、神様、みたま様はいつも私たちを見守り導いていてくださっていることを、園木さんのお社の話から、私はあらためて心に刻みました。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/12/07 14:04:50.931 GMT+9



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