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全て神様のお差し向け【金光新聞】

天地日月の心

 私が奉仕する教会では、ご神前に「天地日月(てんちじつげつ)の心」と書かれた色紙を祭っています。
 この色紙は、今から7年前、私がこの教会に後継のご用に入らせて頂く手続きが完了した際、本部広前のお結界で教主金光様にお願いして書いて頂いたものです。
 この教会は、私が入らせてもらうまで7年間、金光教教師が不在で、ご信徒が教会を守ってこられました。
 私は教主金光様に、「今後、教会が永遠に続くようなみ教えをお下げください」とお願いし、色紙を差し出すと、金光様はしばしの後、「天地日月の心」と、み教えを書いてお下げくださいました。私は、「このみ教えを教会信奉者皆で頂かせてもらいます」と申し上げ、お結界を後にしました。しかし、そうは申し上げたものの、「天地日月の心」とは、どのような心になればいいのか分かりませんでした。

 そうして、教会後継に入らせてもらって程なくして、ひょんなご縁から、ある先生に一冊の本を頂きました。その本の中には、「天地日月の心」について次のように記されていたのです。
 「天地日月の心の天の心とは、天が陽光、お恵みの雨を無条件に与えてくださるように、与えてやまない美しい心、無条件の心。地の心とは、大地がどんなに汚い物をかけられても、それを自らの滋養とし、肥沃(ひよく)な土地になるように黙って受けていく土の心。日月の心とは、日月の運行のように正確無比に貫く実意な心」。これを読んで私は、これから起きてくる事柄を全て神様のお差し向けとして受けていく稽古をさせて頂こうと思いました。

「神様に必要なら当選させてください」

 当時、教会は開教から80年を迎えていました。この間、土地はずっと借地で、教会建物も築60年が経過していて、大雨の時には雨漏りがひどい状態でした。「この先、いつかはおかげを頂きたい」という思いはありましたが、今すぐどうこうするなど夢にも考えませんでした。
 そんな中で、ある日突然、土地購入の話が持ち上がったのです。この教会に来て日も浅く、何の準備もない中でのその話に、私は戸惑いました。
 話に出たその土地は、市から払い下げられた所で、抽選によって購入者が決められるという物件でした。私は神様に、「その土地が神様に必要なら当選させてください」と願いました。でも、何の準備もない中でのことですから、内心では抽選に漏れるに違いないと思ったり、逆に当選したらどうしようかと不安が募り、心の安まることはありませんでした。
 やがて、抽選の日が来ました。結果は、その土地には他に入札参加者がおらず、教会に決まったのです。

 それからは、土地の購入手続きや、その上に教会を新築する運びとなり、財を含めあらゆる事柄の上にお繰り合わせを頂きながら、会堂落成のおかげをこうむることができたのです。この一連の事柄は、人間考えでは到底なし得るはずのないことでした。時に重圧に押しつぶされそうになり、逃げ出したい衝動に駆られながらも、起きてくる事を神様のお差し向けとして取り組ませてもらう中で道筋が付いていったのです。
 こうして教会は新しくして頂きましたが、信心の内実づくりはここからです。永遠に続くこの道の信心の大切な中身として、このみ教えの実践に努めさせて頂きたいと願っています。

(金光新聞「心に届く信心真話」2014年9月28日号掲載)


メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2015/12/27 09:00:00.000 GMT+9



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