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祈り程確かなものない【金光新聞】

「それでは信心のご造営になりません!」

 今から3年前の春、妻が第1子を妊娠しました。
 私は、子どもを授かったことを心から喜びました。その一方で、「このままで大丈夫だろうか」と、先々への不安が頭をもたげるようになりました。
 独身時代は、全て神様にお任せしていれば、生活は何とかなっていました。しかし、今では妻がいて、子どもも生まれる。しかも教会を新築したばかりで、その支払いも考えた時、このままで本当にやっていけるだろうかと不安にかられ、それまで感じたことのない重圧に押しつぶされそうになっていったのです。
 もんもんとした日々を送る中で、私はアルバイトをして家計の足しにしようと、求人情報を見ては仕事を探すようになりました。

 そんなある日、思い余って夫婦で親教会に参拝し、お結界で胸の内を包み隠さずお届けさせて頂きました。この時、私は内心、「きっと親先生は、良い勤め先が早く見つかるよう、ご祈念してくださるだろう」という気持ちでいました。
 ところが、親先生は私のお届けが終わるや否や、「それでは信心のご造営になりません!」と言われたのです。私がその厳しい言葉の意味を理解できずにいると、親先生は私のふがいなさを戒められました。
 この時の教導はとても厳しいものでしたが、親先生が何を言われたのか、ほとんど覚えていません。ただ、「祈りほど頼りなさそうで、確かなものはありません」という言葉だけは、しっかりと耳に残りました。
 私は、親先生に厳しく叱られてますます落ち込み、どうしたら良いのか、いよいよ分からなくなりました。

神様に全てお任せします

 その日は、ご本部に月参拝をする日でもありました。私は親教会を後にすると、その足で妻と共にご本部に参拝させてもらいました。
 これから先どうしたらいいのか分からず、しばらくお広前でひれ伏した後、ふと、お結界の教主金光様のお姿が目に映りました。その時、金光教学院(金光教の教師養成機関)で修行していた当時、初めて金光様にお取次を頂いた日のことが思い出されたのです。
 将来の見通しが立たないでいた学院生の私は、意を決してお結界で、「これからの人生は、神様に全てお任せします。どうぞお願い致します」とお届けしたのです。すると、金光様は「はい」と言われ、一体のご神米(*)をお下げくださいました。このことは、このお道の教師としての私の原点となりました。 
そのことを思い出し、私は金光様に教会や子どものことなどをお届けし、「どうぞ、ここからのおかげを信心でお願いします」と申しました。 金光様は、あの日と同じように「はい」と言われました。その瞬間、私の全身は火が付いたように熱くなりました。そして、「私はわが力で何とかしようとばかり思い、神様にお任せしていなかった」と、ようやく思い至ったのです。

 「不安がある中で、神様を頼りに教会が新築できたように、今度はあなたたちの信心を立派に築いていくことが大切だ」。厳しい教導をもって、親先生が私に伝えようとされたことを忘れず、 また、 「祈りほど確かなものはない」という教えを支えに、腹を据えて日々、ご用に当たらせて頂いています。

*ご神米=神徳が込められたものとして授けられる洗い米。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(金光新聞「心に届く信心真話」 2014年12月7日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2016/03/31 13:29:40.195 GMT+9



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