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難儀の中に信心お育て【金光新聞】

娘の病気を通してお取次を頂き

 「教会へ、お参りしてくれるか」。義父からそう言われて、「ああ、うれしい」と思ったことを、私は今もはっきりと覚えています。それは30年ほど前のことです。
 この家に嫁いでくるまで、私は金光教の信心について何も知りませんでした。4人きょうだいの末っ子で、年齢の離れた兄や姉にかわいがられて自由奔放に育った私が、金光教の信心にご縁を頂いている家に嫁ぐことになったのです。しかも、婚家は当時9人からなる大家族で、義父を社長に親族で建築関係の会社を営んでいて、結婚した当初は何かと戸惑うことが多くありました。
 義父は信心を強要することは一切しませんでしたが、できれば伝えたいという思いがあったのでしょう。それで教会への参拝を私に切り出したのだと思います。
 一方、私自身はそれをとてもうれしく思いました。でもそれは、信心への思いからではありませんでした。教会のある場所が私の実家に近く、参拝からの帰りに実家に寄ることができるという思いから、義父の言葉がうれしかったのです。

 こうして、私は教会へ参拝するようになりました。参拝といっても、最初はお結界で教会の先生に日頃の愚痴を聞いてもらうといったことが中心でした。
 参拝されていた信者さんが、「おかげを頂きました。ありがとうございます」と言われるのを耳にしても、何がおかげなのか、どこがありがたいのか分かりませんでしたが、やがて娘を授かり母親になって、信心への取り組みが変わっていきました。
 娘が1歳になったころ、娘は川崎病という発熱や発疹を伴う熱性疾患を発症しました。原因が全く分からない病気にかかったわが子の回復を願い、私は教会で真剣にお取次を頂くようになりました。
 娘は中学卒業まで毎年、定期検査を受け続けましたが、おかげを頂いて後遺症もなく全快しました。この間、お取次を通して金光教の教えが私の心に響きだし、神様に心が向いていきました。

一心に神様におすがりして

 やがて、子育てが一段落すると、私は家業を手伝うことになり、平成15年に義父が亡くなると、夫が社長として会社を背負うことになりました。
 ところが、ちょうどそのころ、リーマンショックが起こり、経済が悪化していく中で私たちの会社にもその影響が及んできました。そんな折、請け負った仕事に大きなトラブルが生じたのです。私たちの力ではどうすることもできなくなり、眠れない日々を過ごすことになりました。
 私たち夫婦は、毎日教会に参拝してお取次を願い、一心に神様におすがりしました。苦しく不安な毎日でしたが、その中にあって、どんなことでも聞いて頂けるお結界があり、おすがりする神様を頂いていたことで、どれほど心が救われ、助けられたことか。
 やがて、神様は和解という形で問題解決の筋道を付けてくださいました。また、解決の道が開けたことからさらに、その後の事業の展開へとつながっていきました。

 信心のない家から嫁いで30年余り。最初は何も分からない中での信心の始まりでしたが、難儀に直面するたびにお取次を願い、神様に心を向けていく中で、それらをおかげに変えて頂きながら、ここまで信心のお育てを頂きました。ここから少しでも神様へのご恩返しができるよう願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年6月21日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2016/11/02 09:00:00.000 GMT+9



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