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「神様のお役に立つ」土台に【金光新聞】

時代を超え求められる人間像とは

 誰もが一度は、「こういう人間になりたい」と、将来の自分の姿を思い浮かべたことがあるのではないだろうか。
とはいえ、そうした個々が抱く理想像は、グローバル化が進む現代の中で徐々に変化していくようにも思う。真の意味での求められる人間像とはどんなものなのだろう。

 グローバル化の流れは、社会の仕組みや職業、人間に要求される資質にまで影響を及ぼし始めている。ある学者は、現在の小学生の半数以上が今はまだ存在していない職業に就くだろうと予測する。最近の雑誌でも、「50年後に残る職業ランキング」といった記事を目にすることが増え、将来の社会変革は避けようがないようだ。さらに人工知脳の進歩は、人間の存在意義をさまざまな分野で脅かそうとしているようにも感じる。
 こうした流れは、まさに次代を担う小さな子を持つ親や子どもたちにも及んでいる。グローバル化はもとより、超少子高齢化・人口減少社会の到来と、生産年齢人口の急減が確実となった中で、たくましく生き抜くための人間教育の必要性が最重要課題とされている。文部科学省は、2020年の大学入試の選抜方法の見直しを図るという。従来型の「教わる」という受動的な教育の在り方から、自ら課題を発見し、その解決に向けて探究し、成果などを発表するために必要な思考力・判断力・表現力などの能力を身に付ける、「アクティブ・ラーニング(能動的学修)」へと方向転換を促すことが狙いだ。

 それに伴い、すでに小学校、中学校、高校の教育で、「思考」「対話」「発表」を鍛える「アクティブ・ラーニング」への方向転換が起こっている。こうした教育現場の変化への適応や、そこで勝ち抜くことが、親や子どもに突き付けられているのだ。しかし、よく考えてみれば、そこで勝ち抜くことがそのまま「幸福」につながるのではない。
 問われるべきなのは、より根本的、本質的な人間像である。教祖様は神様から、「人間は神の氏子」と教えられ、「天地の間に氏子おっておかげを知ら」ないことが難儀のもとだと知らされる。ここには時代を超えた普遍的、本質的な人間像が示されている。

 私は、教会で青少年の育成に取り組むに当たって、親が自分の子どもを「神様の氏子」であると自覚し、親も子も「神様のお役に立つ氏子になる」という願いを土台に持ってもらうことを目指している。親と子がそれぞれ、 お結界で 「どうか神様のお役に立つ氏子になれますように」と願い出て、「神様のお役に立つ氏子」となることを目指す。それは、教祖様が立教神伝で、神様から「神を助けてくれ」と願われ、そのみ思いに沿って生きた、その思いと方向は同じだと考えている。
 厳しい経済状況や教育環境など、さまざまな影響を受けながら育っている子どもたちではあるが、実際に「神様のお役に立つ氏子になれますように」という願いを持つようになると、一人一人が目の前の課題にたくましく取り組み、時代を生きつつ、時代を超える成果となって現れてきている。小学校受験の合格、テレビCMへの出演、本の出版、不登校の克服、金光教教師になりたいという夢など、教会に参ってくる親や子どもたちの心身に起こる変化に、「どうしてこういうことになるのだろうか」と、感動が止まらない。と同時に、そうしたおかげの事実一つ一つに、神様の喜びも感じるのである。
 時代や社会がいかに変わろうと、求められる人間像が、「神様のお役に立つ氏子になる」ということにあることを忘れてはならない。

河井 真弓(東京都中野教会)
(「フラッシュナウ」金光新聞2016年11月20日号掲載)

投稿日時:2016/11/25 10:50:10.204 GMT+9



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