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ありがたいがいっぱい【金光新聞】

悲観的な思いを拭い切れず

 現在、息子(25)は、一人暮らしをしています。一人暮らしを始める時、私は、彼が子どものころに使っていた大きな音が鳴る目覚まし時計を持たせました。
 息子は3歳の時、滲出(しんしゅつ)性中耳炎により両耳が聞こえにくくなっていると診断されました。医師の言葉を聞いた瞬間、私はうろたえ気落ちしたことを今でも覚えています。
 それでも息子は、毎日近所の友達と元気に遊び回って過ごしていました。私はそんな姿を見るたびに、元気なことを喜ばなくてはと思う反面、「この子は耳が聞こえないんだ」という悲観的な思いを拭い切ることができませんでした。そのせいで楽しいことやうれしいことがあっても、素直に喜べませんでした。

 息子が小学2年生の時のことです。当時、息子は週に2回耳鼻科に通院していました。いつもは電車で2駅離れた場所にある病院まで、車で連れて行くのですが、数週間後の通院予定日にどうしても都合が付かなくなり、今後のことも考えて、息子に一人で電車に乗って病院に行ってもらうことになりました。そのため、私と何度も電車に乗る練習を重ね、いよいよその日を迎えました。
 「いってきます!」
 練習で自信をつけた息子は意気揚々と家を出発しました。ところがしばらくして、電話が鳴ったので出ると、「お母さん、迎えに来て」と受話器の向こうで息子が泣き叫んでいるのです。話を聞くと病院がある駅に電車が止まらず、通り過ぎたとのことでした。後で分かったのですが、通常は運行しない臨時の快速電車に乗ってしまったらしく、目的の駅を通過してしまったのでした。

「神様と一緒に行ってみる」

 慌てて次の停車駅で降り、泣き叫びながら電話をしてきた息子に、私はどうすればいいのか分からないまま、「金光様」と心の中でお唱えしながら必死で話し掛けました。
 「びっくりしたね。でも、よく気が付いて次の駅で降りたね。行き過ぎた場合、どうすればいいのかな」と尋ねると、「戻ればいい」と答えてくれましたが、「でもまた通り過ぎたらどうしよう」と言うのです。
 とっさに私は、「いつも神様が付いていてくださるから大丈夫なんだよ」と話すと、息子が「そうだね。一人で帰るのは怖いけど、神様と一緒に行ってみる。分からないことは駅員さんに聞く」と言ってくれました。

 それを聞いた私は、「あなたにはよく見える目があってありがたいね。帰ってくる勇気も出てありがたいね。あなたはいろんなことができるんだね。ありがたいね」と口にしていました。そして「『金光様』とお願いしながら、神様と一緒に帰っておいで」と言って受話器を置きました。
 その瞬間、私は目の前が急にパアッと明るくなり、「この子はありがたいことでいっぱいだったんだ」と心から思えたのです。息子に「ありがたいね」と言いながら、実はそのことを実感したのは私自身でした。神様がこのことを通して、私の心を救い助けようとしてくださったのだと思いました。そして、この後息子は無事電車に乗ることができ、一人で病院に行くことができました。
 数年後、息子の耳は完治しました。子どもの時に使っていた目覚まし時計は、今は音が大き過ぎるので使いませんが、耳が聞こえにくかったこと、神様のおかげを頂いて今あることを忘れないために、一人暮らしをする時に持たせたのです。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年4月17日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/09/26 08:51:19.134 GMT+9



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