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介護通し成長した信心【金光新聞】

施設へ通い気付いたこと

 私(70)の母(98)は緑内障を患うようになって、両目がほとんど見えなくなってしまいました。そんな母の目に再び光をと願い、私は教会へ毎日お参りするようになりました。
 これまで母は、父が亡くなって一人で生活をするようになっても、以前と変わらず教会への日参を続け、単身でご用に当たっていた教会の先生の身の回りのお世話を献身的にしてきました。
 しかし年を重ねるにつれ、母には認知症の症状が現れるようになりました。私は、先生に母の今後についてお取次を頂いていく中で、母に教会近くの介護付き老人ホームへ入所してもらうことができました。
 父の介護を母が一人でしていたこともあって、母の世話はできるだけ私がさせて頂きたいと思い、介護付きの施設ではありましたが、毎日施設に通うようになりました。
 少しでも認知症の進行を遅らせるために、日々の出来事を話すように心掛けたり、歩行器で歩きながらしりとりをしたり、その他にも、無理のないように筋力トレーニングをしたりして、母を励ましながら介護のお手伝いをしています。

 施設に通うようになってから、 あることに気が付きました。入所者の多くは、施設内の食堂で食事を取るのですが、ほとんどの人が、暗い表情でご飯を食べているのです。私は、家族があまり面会に来てくれない寂しさからなのかと思い、皆が笑顔になるようにと神様に祈らせて頂くようになりました。
 そして、その人たちに元気になってもらおうと、食事のたびに、「今日のご飯は、煮物とおひたしだねえ。よかったね」などと、積極的に声を掛けることを心掛けるようになりました。すると、最初は反応もしてくれなかった人たちが、だんだんと返事をしてくれるようになり、食事の時間が明るい雰囲気になってきました。

母のことを通して

 母の日のこと、私は母にカーネーションを贈ろうと思い、施設に行く前に花屋に立ち寄りました。すると、日頃からほとんど家族の訪問がない入所者の方々の顔が思い浮かび、その人たちにも一輪ずつカーネーションを買ってプレゼントしました。カーネーションを手渡すと、皆とても喜んでくれて、中にはお返しにとお菓子をくれる方もいました。
 こうしたことを通して、私と入所している人たちとの心の距離がぐっと縮まり、気さくに話し掛けてもらえるようになり、友達もたくさんできました。いつしか私は、施設に行っていろいろな人とよもやま話に花を咲かせることが楽しくて仕方がなくなりました。
 母の世話ややりとりなどで疲れてしまう時もあります。自分のその日の体調などによっても、今日は行きたくないなと思う時もありますが、施設の人たちや母に会いにいってあげたいという思いに突き動かされ、毎日続けられています。

 母のことを通して、毎日教会にお引き寄せ頂くようになった私ですが、最初のころは母のことばかりお願いしていました。しかし、今では施設の人たちのこともお取次願うようになったばかりか、施設の人たちと話すことで、心に元気を頂いています。
 これからも母の信心をしっかりと受け継ぎ、日参を続けて、神様やみたま様に喜んで頂ける信心をさせて頂きたいと願っています。また、少しでも母への恩返しになるよう、心を込めてお世話をさせて頂きたいと思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年7月17日号掲載)


メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/12/23 10:00:00.000 GMT+9



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