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天地の恵みありがたく【金光新聞】

母の信心

 先日、私(57)は夕飯の支度にキャベツをリズムよく千切りにし終え、芯の部分を流しの三角コーナーに捨てようとしました。その時、ふと実家の母の顔が思い浮んだのです。
 母は幼いころからキリスト教を熱心に信仰していましたが、金光教を信心する家に嫁いだのを機に、お道にご縁を頂きました。初めは自ら進んで教会に足は向かなかったようで、何度も教会へのお参りを勧める祖母に言われるまま、参拝だけはしていたといいます。
 教会にお参りすると、先生も信者さんも母のことをいつも温かく迎えてくれ、教会長夫人の道子先生が生活にまつわることを例えに、天地のお働きあっての私たちであることと、自分の体も神様からの預かりもので、いつも神様が守ってくださっていると、親身になって教えてくれました。
 私が幼かったころは、食べていくのも大変な状況でした。それでも母は、さまざまな工夫をしながら思いを込めて毎日、家族のために食事を準備していました。
 道子先生のお話は、そんな母の心にストンと入ったのだと思います。教会でお話を聞かせてもらうと、何だかとてもありがたく、あったかい気持ちになれたそうです。貧しくても、毎日天地の恵みである食べ物を頂ける喜びをかみしめていたのでしょう。

 そんなある日、母が道子先生と一緒に親教会へ参拝するために歩いていると、道子先生が持っていたポケットティッシュで、さっと地面に落ちている何かを拭き取りました。その姿は、ごく自然だったといいます。それは道に吐かれた痰(たん)でした。道子先生は、日頃から「父である天と母である地の間に人間はいます」と言っていました。天地のお働きがあって初めて野菜もでき、お米も実り、その食物で人の体もできています。そのような母である大地に痰やごみがあれば、相済まないという、天地の親神様への敬慕の思いが伝わってきたと、母は印象深そうに話していました。

母の信心生活をならって

 母もだんだんと道子先生を手本に教えて頂いたことを生活の中で実践していきました。天地の恵みでできたものを粗末にはできないと、キャベツの芯のような野菜の切れ端も決して粗末にはせず、小さく刻んで、おみそ汁に入れていました。また、私たちきょうだいがお茶碗にご飯粒を残すと厳しく叱りました。
 そして、どんなに小さいお菓子でもきょうだい皆で分けて食べたり、全員分のおやつを一度に買えない時でも、ゲーム感覚で順番にもらえるよう、楽しみながら辛抱できる工夫を凝らしてくれました。そうやってようやく食べることができたおやつは格別おいしかったのを覚えています。

 夕飯の支度をする中で母のことを思い出した私は、今の自分の生活を振り返っていました。子どものころに比べれば生活も豊かになり、食べ物で困ることはなくなりました。好きなものを買って、食べることができるようになりました。その分、純粋なありがたさ、うれしさの実感が薄れているように感じます。
 母が生活の中で示してくれていた天地の親神様の恵みを粗末にしない在り方、そして母が感じていた食物を頂けるということのありがたさを、私もまた忘れずに信心していきたいとあらためて思いました。それが母に感謝の気持ちをささげることになると思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2017年12月3日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2018/12/28 08:32:49.833 GMT+9



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