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神様が喜ぶことって? 【金光新聞】

祖母の言葉から

 今年も新しい年を迎えました。お正月になると、私は祖母とのあるエピソードを思い出します。 
 それは、高校受験を数カ月後に控えた元日のことでした。私は離れて暮らす母方の祖母に、電話で年始のあいさつをしました。母の実家は私の実家と同じように金光教の教会です。電話口で、今年は受験の年ですと報告すると、祖母は、「何か神様から喜んでもらえることをさせてもらったらいいね」と言ったのです。
 私はてっきり「おばあちゃんも神様にお願いさせてもらうから、あなたもしっかり神様にお願いしなさい」というような返事を予想していたので、祖母の言葉がとても心に残り、素直に実行してみることにしました。

 神様に喜んでもらえることって何だろう。受験勉強もあるし、今自分にできることが何かあるだろうか」と、いろいろ考えた末、午後10時に教会が閉まった後、教会玄関の掃き掃除をすることにしました。自分のことを頑張るだけでなく、「明朝もご信者さんが気持ち良く参拝できたらいいな」と思いながら掃除をすれば、きっと「神様に喜んでもらえる」ことになると思ったからです。
 以来、その時間になると勉強の手を止め、教会の玄関を掃くようになったのですが、毎晩続けているうちに、次第に私の中に変化が生まれてきました。
 それまでは、受験のことを思うと不安な気持ちが膨らみ、落ち着いて勉強できなかったのですが、お掃除をすることでかえって生活のリズムが整い、勉強にも集中して取り組めるようになりました。そして、きれいになった玄関を見ると、自分の心もすっきりし、気持ちが穏やかになっていきました。いつの間にか、祖母に言われたから、ということはすっかり忘れ、お掃除をさせてもらえることがありがたくなっていたのです。

信心の原点

 私はこの経験を通し、神様のご用をさせて頂くことのありがたさを、初めて実感することができました。そして受験も合格しました。
 あの時、私は祖母の教えを純粋に実行しただけでしたが、「神様に喜んでもらえることをする」というご用の取り組み方があることを知りました。そして実際に願い以上のおかげを頂いた事実を通して、当時、思春期真っただ中でしたが、神様の存在が身近に感じられ、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。

 思い起こせば、祖母は本当によく信心の話をしていました。祖父と共に、わが家に訪ねてくると、空気がピンと引き締まり、気が付くと両親と4人で信心の話が始まっており、夜更けまで話し込んでいたものです。
 特に祖母は、箸の使い方などの食事の作法や、お皿に残ったおしょうゆも最後にお茶を注いで残さず頂き、神様のお恵みを一滴でも大切にするようになど、信心を元にした生活の進め方をいろいろ教えてくれました。成長するに従い、少し窮屈に思ったこともありましたが、そうした一つ一つのことが、祖母にとっては全て「神様に喜んでもらえること」であり、祖母の信心の中身だったのだと思わされます。
 大人になった今、祖母の教えは事有るごとによみがえり、私の信心の原点となっています。そのことを思う時、祖母から教えてもらった「神様に喜んでもらえる」生き方を、今度は、母となった私が、子どもたちに伝えていきたいと思います。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2018年1月7日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2019/01/24 13:49:00.768 GMT+9



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