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参拝者を教え導く「場の力」【金光新聞】

「学校広前」から再認識する広前の魅力

 未信奉者の生徒たちが、お広前で手を合わせて一心に祈る姿。友達を気軽に誘ってお広前に来る生徒。「学校広前」での日常的な風景を眺めていると、お広前という場が持っている本来的な力が見えてくる。

 「先生、聞いてください。昨日、こんなことがあって…」
 学校の昼休み、昼食が終わるやいなや、駆け込むようにやって来る生徒たち。午後の授業が始まる予鈴の直前までにぎわう。
 金光教の教えを教育の理念に掲げる関西金光学園の3校、金光大阪中学校・高等学校、関西福祉大学金光藤蔭高等学校、金光八尾中学校・高等学校には「学校広前」(以下「お広前」と表記する)があり、生徒は自由に参拝できる。私は、金光八尾で宗教の授業を受け持つとともに、昼休みと放課後はお広前で、参拝してくる生徒たちを受け入れるご用を頂いている。
 本校のお広前は学生食堂の隣に位置することもあり、昼休みに参拝してくる生徒が多い。願い事や何か問題を抱えて、または興味本位でお広前に訪れる。暖色の照明による柔らかな雰囲気と、畳の香りが漂う空間に、生徒たちは癒やしを感じてくれている。
 お広前では、「お届け用紙」に思い思いの願い事や、感謝の言葉を記してもらう。そして、お広前にいる私たち宗教科の教員が生徒の話に耳を傾け、生徒の横に座って一緒にご祈念をする。参拝作法や、どのようにして願うのかも教える。
 生徒の願い事は、「アイドルのコンサートチケットが当たりますように」「けんかした友達と仲直りできますように」など、若者らしい内容であるが、参拝した生徒たちの願いは不思議とかなうことが多く、その体験を友達に話して、願い事のある生徒をお広前へ連れてくるということが日常的にある。その様子を見ていると、「教祖様の頃のお広前って、こんな様子だったのだろうか」と思わされる。

 本校の生徒は大多数が未信奉者で、入学後、宗教の授業で初めて金光教に触れることになる。宗教離れが叫ばれる現代だが、お広前に参拝する彼らを見るとそうは思えず、ある意味、純粋な心で神様に向かおうとする姿勢を感じる。
 例えば、大学受験を控え、毎日、参拝する高校3年生の女子生徒がいる。彼女は決まって、お届け用紙の最初に「いつもありがとうございます」と書いてから、志望校の合格祈願を記して、祈っていた。しかし、残念ながら結果は不合格だった。もうお広前に来なくなるかとも思ったが、翌日、彼女は「先生、本当にごめんなさい。あれだけ先生にお祈りしてもらったのに、合格できませんでした。次は受かるように、しっかり勉強します」と報告に来てくれた。
 私は自分の祈念力が足りなかったと、申し訳ない気持ちになったが、彼女が神様のことを、現世利益を求める対象としてではなく、感謝の思いをささげる対象として意識していることをありがたく思った。そして、共に祈る私たち教員に対しても、感謝の気持ちを持ってくれていることに感動した。これと似た体験は、毎年数多くさせて頂いている。

 神様に向かう生徒の純粋な心、一緒にご祈念する宗教科教員の祈り、癒やしを感じる雰囲気。それらがお広前という「場の力」となり、「どうやって神様に心を向ければよいのか」を自然に教え導いているのではないかとも思う。
 未信奉者の生徒たちが「先生、聞いて!」と飛び込んできて、話したいことを話し、教員の横で一緒に祈る様子を見ていると、あらためてお広前の魅力を再認識させられる。教会が社会に開かれ、誰でも入りやすいお広前を築いていくためにはどうすればよいか。学校広前にそのヒントがあるような気がする。

近藤 正明(三重県名張教会長)
(「フラッシュナウ」金光新聞2019年1月27日号掲載)

投稿日時:2019/01/28 13:55:55.954 GMT+9



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