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妻の病気で家族再出発【金光新聞】

ウォーキング中に

 私は18歳の時に、就職のため、 九州から四国に移り住みました。37歳の時、中古住宅を手に入れることになり、母に報告しました。すると、「元の持ち主には並々ならぬ事情があったかもしれないから、金光様にお願いをしてから入居させてもらった方がいい」と言います。確かにその通りだと思い、慌てて金光教の教会を探し参拝しました。九州にいた頃は母に連れられて参拝していましたが、独り立ちしてからは自分からお参りしたことはありませんでした。しかし、このことをきっかけに、時々教会に参拝するようになりました。
 今から13年前、私が60歳の時のことです。その頃、私と妻(当時56)は、ウォーキングを日課にしていて、その日も夕食後、いつものように二人で出掛けました。
 いつも通り、私が先行する形で歩いていたのですが、ふと振り返ると妻の姿が見えません。辺りを見回しながら後戻りすると、道路脇のガードレール沿いに、何かが横たわっているのが見えました。近づいてみると、何と妻だったのです。

 名前を呼んでも返事はなく、意識がありません。その時、道路下から「どうかされましたか」と、見ず知らずの若い男性が声を掛けてくれ、事情を察してすぐに救急車を呼んでくれました。私が看護師だったこともあり、妻の手当てをする救急隊員を手伝う傍ら、娘たちに状況を伝えながら病院に向かいました。
 教会へお届けできたのは午後10時すぎでしたが、すぐさま教会の奥さまが飲み物などを持って病院に駆け付けてこられ、私たち家族を励ましてくださいました。
 妻は、くも膜下出血と診断され、翌日手術が行われました。経過は思う以上に順調で、2カ月後にはようやく退院し、その後も妻は精力的にリハビリに取り組みました。

病気から再出発

 妻が倒れた原因の一つは、勤務先のIT化に伴うストレスだったようです。私自身も定年を間近に控え、忙しさのあまり妻の話を十分に聞いてあげることができていませんでした。二人とも自分のことだけで精いっぱいで、互いを思いやる余裕を失っていました。ウォーキング中も、二人ともただ黙々と歩いていたことが思い出されます。
 妻が倒れた直後、本人の意識はまだ戻っていなかったのですが、妻が勤めていた会社に退職を申し入れたところ、「結論を急がなくてもいいですよ」と、そのまま休職扱いにしてくださいました。そして発症から8カ月後、本人の意思を尊重した上で、職場復帰することができたのです。
 命が助かっただけでも奇跡だと思っていたのに、職場復帰できるとは夢にも思っていませんでした。比較的早い段階で復職できたことが、妻の認知機能の衰えを食い止めることにもつながっているように思います。

 また当時、次女は就職浪人中でした。妻の入院中、日中はほとんど、時間に融通の利く彼女が付き添ってくれていました。自分の進む道に迷っていたのですが、妻の介護をきっかけに、翌年看護の道に進む決意をし、その後、道が付くというおかげを頂きました。
 家族の絆もいっそう強くなり、本当にありがたく、神様にお礼を申し上げずにはいられません。妻の病気は、私たち家族にとって再出発となる出来事であったと、神様から頂いたおかげの大きさを、家族一人一人が実感している毎日です。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」2018年9月23日号掲載)
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2019/10/29 08:52:45.072 GMT+9



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