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天地金乃神大祭をお迎えして 今こそ心を神様に向けて

金光教報 「天地」4月号 巻頭言

 今年1月から、本部教庁は新しい部編成になり、天地金乃神大祭をお迎えする儀式事務体制を整える準備を始めていた。ところが、予期せぬ事態となった。
 昨年末から、中国で「原因不明の肺炎」が発生し、それが「新型コロナウイルス」による感染症であることが判明したとのニュースが流れた。それは、リアルタイムのニュースではあったが、遠いところのニュースであった。
 しかし、2月に入ると、国内にも感染が広がり始め、本部でも「うがい・手洗い・マスク着用」を徹底した。それだけではとどまらず、ついに2月20日には、政府から「イベント開催に関する国民の皆様へのメッセージ」が出され、国を挙げて、新型コロナウイルス感染拡大防止への取り組みが進められた。
 そして、ご霊地の所在する浅口市の市長から「人が集まる祭典など、くれぐれも気を付けてくださいね」とのメッセージが届き、その翌日、浅口市はいち早く、2月26日から3月15日までの期限付きで、市の公共施設の閉鎖と行事の中止を打ち出した。遠いニュースはひたひた、ひたひたと身に迫り、ついにここに至って、とても身近で危機感を持つものとなった。
 そのような事態の中、天地金乃神大祭をどうお仕えさせていただくか、が大きな問題となった。
 ご大祭はイベントや集会ではないから、祭典をお仕えさせていただくということに揺るぎはなかった。むしろ、こういう時こそ、神様に「人々の安心」と「感染の終息」をお願いし、おかげを頂かなくてはならない状況である。そこで、議論を重ね、祭典への参拝は控えていただくが、祭場において「例年どおり」の祭典をお仕えすることを決めた。それは一方で、本部広前は常に開かれているという教祖様以来の道を貫くためでもあった。
 私は、 「神前撤去」のご事蹟と重ねて、この事態を思った。
 「金光大神御覚書」には、 「(明治六年)小田県の触書のこと聞き…家内中心配仕り候。…川手戸長より萩雄(教祖三男)呼びによこし、早々まいり。神の前かたづけと申しつけられ」との一節がある。
 「神前撤去」は祭典の自粛要請どころではなく、神様からのお頼みを受けて始まったお広前での御用が、人間世界の決まり事によって「差し止め」になるという事態であった。それでも教祖様は、「お広前での御用は神様との間のこと、お上とは関係ない」とはされず、そのことを受けるとともに、神様を神様と立て仰ぎ、さらに「お上出ても、実意を立てぬき候」という態度をとられたのである。現代の教団にも、社会存在として果たすべき役目がある。その指針を、すでに教祖様が示してくださっていたのはありがたいことであった。
 そして、さらに大切なことは、「神前撤去」以後にもたらされた大きな意味である。天地書附が生まれ、お結界の位置が定まり、天地金乃神様の神性が明らかになり、生神金光大神は天地金乃神の差し向けという、本教の要となることが、次々と示されたことを思うと、「神前撤去」は、単に社会の迫りを受けての、やむを得ぬことではなく、必然的な「差し向け」であったのかもしれない。教祖様は、お広前を引かれて、何を思い、どのように神様に向かわれたのであろうか。
 今、私たちも、どう神様に向かうかが問われている。感染の終息を願うにとどまらず、今こそ、そういう大事な「時」と頂きたい。
浅野 弓・布教部長


投稿日時:2020/04/01 10:23:26.228 GMT+9



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