title.jpg

HOME › 神様と一緒に歩んだ母【金光新聞】

神様と一緒に歩んだ母【金光新聞】

母が語ってくれたこと

 4年前のお彼岸の朝、私たちきょうだいとその家族が、入院中の母(93)の元に集まりました。母はだいぶ弱っていましたが、私たちの顔を見るなり有無を言わせない迫力で「最後の頼みと思って聞いて。今から教会とお墓に参ってほしい」と、何かを託すように言いました。
 皆が参拝を終え、病室に戻ってくると、母はとても喜んでくれました。私が「もう少し頑張ろうね」と声を掛けると、母は首を小さく振りました。そして、ほほ笑みながら「もういいでしょ。ありがとう」と言い、ろうそくの炎が消えるように息を引き取りました。
 母は、熱心な信奉者家庭に生まれ、幼い頃から祖母と一緒に教会に通っていたそうです。結婚する時には、両親から「あなたには信心という財産を持たせましたよ」という言葉とともに送り出してもらったといいます。戦中のことで、夫はすぐに出征し、一度は戻ってきたものの、身重の母を残して、また召集されました。母は頼れる人もなく、慣れない生活に苦労したようです。

 そんな母は、終戦直後の夫がまだ戻らないうちに女の子を授かりましたが、生後間もなく感染症で亡くしてしまったのです。産後体調を崩したのに加え、わが子を失った悲しみから心身共に衰弱して、無意識のうちに婚家を後にし、気付くと、実家の玄関に立っていました。
 ところが、親から「向こうの家のお許しを頂いていないなら、家に入れることはできない。あなたには神様が付いてくださっているのだから…」と、敷居をまたがせてもらえなかったそうです。
 後年、母は当時を振り返りながら、「実家に入れず、どこをさまよっているのかさえ分からなくなった時、『鬼ではないぞ。子を追い返す親の心はどんなにつらいか』と、聞こえた気がしたの。失った子を心底ふびんに思うように、両親も神様も深い慈愛で私のことを願ってくれている。このままでは亡くした子にも夫にも申し訳ないと思い、やっと正気に戻れたのよ」と、語ってくれたことがあります。母は、その体験を通して、神様と出会ったのです。

母が残してくれた信心

 その後、母は夫の仕事の都合で全国を転々とする生活を送りました。行く先々の土地で、ともかく神様を頼りに、3人の子を育てながら夫を支え、精いっぱい生きました。いつも神様と一緒に歩んでいた姿が思い起こされます。
 母は人に何かを分ける際、必ず良い方を渡しました。持ち物を褒められると、子どもの物であろうがお構いなしにあげてしまうのです。私たちが文句を言うと、笑顔で「神様が喜んでいらっしゃるのだからいいでしょ」と、答えるのが常でした。また、嫁ぎ先からなかなか里帰りできず、気にしている妹には、「こっちは神様に任せてあるから大丈夫。そちらのご両親を大事にすることが、私たちへの親孝行になるのだから」と言い、妹はその言葉にいつも救われていたといいます。

 母は晩年、「親の信心のおかげで本当に幸せな人生を送れたわ。今度は私が信心の貯金を皆に残していきたいな」と言って、教会でも地域でも人の助かることに、いっそう積極的に取り組みました。
 私は今、そんな母の姿を思いながら、「これでいい?神様に喜んでもらえるかな」と尋ねてみます。そして、母が残してくれた信心のおかげで、毎日が幸せであることをありがたく思って手を合わせています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年3月24日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/05/06 07:38:42.364 GMT+9



このページの先頭へ