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「あらたまりなさい!」【金光新聞】

突然娘から言われた言葉

 今から12年前、私が奉仕する教会の大祭の準備をしていた時のことです。当時2歳だった娘が突然、お広前の入り口の戸をガラッと開け、「おとうさん、あらたまりなさい」と大声で言うのです。
 あまりにも唐突な言葉にびっくりして「あらたまるってどういうこと?」と尋ねると、娘は即座に「かみさまにむいて、せすじをのばして、おれいをすること。それがあらたまるってこと」と答えました。私は本当に驚き、返す言葉が見つかりませんでした。
 習い始めたばかりだった吉備舞の先生から教えてもらったのかもしれない、もしくは妻と一緒にご祈念を上げている時に、妻が何げなく言ったことを覚えていたのかもしれないなどと、いろいろ想像してみました。

 しかし、冷静になって考えてみると、神様が娘の口を通して、今、私にとって大切なことを伝えようとされたのではないかと思えてきたのです。娘の言葉が、日常のご用の中で見落としがちな信心の大前提の部分、全身全霊を傾けて神様にお仕えすることの大切さを教えてくださっているように思え、以来、信心の課題にしていこうと思いました。
 数年後、娘にその時のことを聞いても全く覚えていない様子でしたが、このエピソードは、私たち家族にとっても大変思い出深いものになりました。その後も、「あんたが2歳の時、『あらたまりなさい』って言ったので、びっくりしたことがあったんよ」と、時折思い出しては話題になりましたが、時とともに、いつしかそんな機会は減っていきました。

取り組む中でふと気づく

 立教160年を迎えた今年1月、年頭の寒修行として、1カ月間、自転車で教会奥城(おくつき/金光教式のお墓)に日参しようと決めました。毎朝、午前5時から仕えられるお広前でのご祈念後、金光教本部と親教会に参拝させて頂くという気持ちで、自転車で片道15分の道のりをお参りさせて頂きました。
 初めの頃は、奥城に向かうこと自体が目的で、無心で自転車をこいでいました。しかし数日たった朝、自転車をこぎながらまだ暗い朝の空に輝く星を眺めていると、今こうして白い息を吐きながら参拝させてもらっている今月今日が、かけがえのないものだと感じられるようになりました。
 早朝、時間と体を使って参拝することを通して、日々教会へお参りされるご信者さん一人一人の思いを分からせて頂いたような思いにもなり、一層祈りに力がこもったように思います。
 1カ月の寒修行が終わりに近づいたある日、娘から突然、「お父さん、最近、改まってきたね」と言われました。中学1年生になった娘の少し生意気な口ぶりに苦笑いしながらも、私の中での何らかの変化を感じ取ってくれたのかもしれないと思うと、少しうれしい気持ちになりました。そしてこの時も、娘の言葉が神様の言葉として、私の心に響いてきたように感じられ、さらにうれしくなりました。

 神様は姿も形も見えず、声も聞こえませんが、関わる人の口を通して、メッセージを下さっているのでしょう。生活していく中で出合っていく出来事一つ一つに神様の思いを感じていくことは、私にとっての信心の取り組みだと改めて分からせて頂きました。これからもさまざまな事柄に潜んでいる神様の思いに気付かせて頂き、信心成長のおかげを頂いていきたいと思います。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年5月19日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/06/12 11:40:13.917 GMT+9



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