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仕事の中で喜びを探す【金光新聞】

知らず知らずに思っていた

 私(52)は、10年ほど前から、高齢者に介護サービスを提供するケアハウスで働いています。
 施設には、元気でしっかりしている方もいれば、全く動けない方、認知症の方などさまざまな人がいます。時には暴言を浴びせられますし、ご飯の最中に「おなか減った。私のご飯は?」と言ってくる人もいます。認知症の症状だと頭では理解していても、仕事に就いた当初は、戸惑うことも多く、介護の仕事を続けることも不安に思っていました。
 入居者に山田さんという80代後半の女性がいます。認知症ですが、介助をすれば歩くこともでき、食事も自分で食べられます。しかし、意思疎通ができないことが多いのです。
 穏やかで笑顔がかわいしい方なのですが、介護に当たる上では、山田さんも気を付けなければいけない一人でした。自分は歩けると思い、一人でベッドから下りて、畳の上で動けなくなっていることがあるからです。また、時々廊下全体にまで聞こえるほど大声を出すこともあります。

 以前、山田さんの部屋から「神様、お助けくださいませ」と大きな声が聞こえたので、慌てて山田さんの様子を見に行ったことがあります。すると、山田さんはベッドに横になり、穏やかな顔で手を合わせていました。
 どの宗教であっても神様に向かう姿は、いいものだとほほ笑ましく思っていました。
 ところが、ある日、山田さんが何度も大きな声で、「天…地…神様、お助けくださいませ」と叫んでいるのが聞こえてきたのです。一瞬、「もしかして金光教の信者さん?」と思うと同時に、「もしそうだったら少し嫌だな…」という気持ちになったのです。私の中に、「金光教の信者さんは、入居者のお手本となるような人であってほしい」という思いがあったからかもしれません。
 結局、山田さんは金光教の信者さんではなかったと後で分かったのですが、日頃、介護する側、される側双方に、喜びが生まれることを願いながら仕事をしていたつもりなのに、そんな思いに取りつかれてしまった自分が情けなくなりました。

喜ぶ心を忘れないで

 この出来事を機に、「不足の心を無くすことは難しいけれど、少なくすることはできるかもしれない」と思い、楽しむ心や、喜ぶ心を増やすことに取り組んでみようと思い立ちました。
 入居者の中には、食べ物に関心を示さない人や、自分の気持ちを伝えることができない人もいますが、まずはご飯が食べられること、「おいしい」と言ってくれること、感情を口に出せることなど、今までは当たり前だと思っていたことも喜ぶように努めました。
 出勤前と帰宅時に教会へ参拝するのが日課だった私は、「喜ぶ心を忘れず、仕事ができますように」「今日はこんなうれしいことがありました」と、神様に話し掛けるような気持ちで祈るようになりました。
 すると、暴言を言われた時も、「感情を素直に表せてよかったね」と、思えることも増えました。まだまだ十分ではありませんが、もっと楽しみや喜びの思いを増やし、マイナスの思いを減らしていきたいです。

 人の良いところ、喜べるところを探すようになってくると、介護の仕事が楽しくなり、気が付けば10年が過ぎようとしています。私にとってこの取り組みは、「お礼を土台にする稽古」なのだと思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年6月16日号掲載
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2020/07/11 10:07:04.621 GMT+9



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