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「神様の心」磨いて幸せ祈る【金光新聞】

「相手を大事に思う心」で受ける電話相談

 私は長年、電話相談員としてさまざまな困難を抱える人の話を聴いてきた。その経験から、相手を大事に思い、祈ることで、自分の中に生まれてくる神様の働きがあることを実感している。

 生まれたばかりの子どもが次々と亡くなり、「あの家は絶えるだろう」といわれていた片岡次郎四郎師(岡山県才崎教会初代教会長)が、初めて教祖様のお広前にお参りした時のことだ。胸の内を話すと、教祖様は「それは困っていることであろう。此方(このかた)もそれで難儀をし、七墓も築(つ)かされた。信心すればおかげが受けられる。一緒に信心していこうではないか」と、あたかも親が子を抱くような慈愛に満ちたお心で迎えられた。教祖様自身のつらい過去と重ね、「この氏子は今、どれほど苦しいだろうか」と心中を察し、助かりに向けて共に歩んでくださるお姿に、片岡師は「この方について信心しよう」と、心に決めたのである。これは、一番好きな金光教教典の伝えで、常に心に留めておきたいと思っている教えである。

 さて、私は今日まで30年近く、一般の電話相談窓口に携わり、これまで何千人ものお話を聴いてきた。相談者は、生まれも育った環境も違うが、皆それぞれに思うようにいかないことを抱えている。
 先日も、他人に対して怒りの感情を抑えきれない人の相談を受けた。ある公的機関での配慮に欠ける応対に、怒りが収まらない様子だった。私は、その時、相談者が腹を立てている感情を、そのままに受け止め、「この方が怒るのも無理はないな」と思えた。
 しばらく一方的に感情を吐露する中、相談者が、ふと「しょうがないよね」とつぶやいた。「本当は私、こんなに怒りたくはないんです。もっと良い態度で人に接せられたらいいのに、それができない…」。良い生き方をしたいのに、そうできないことが、怒りの感情を生んでいたのだ。私が「人に優しさをもって接せられたらいいですね」と伝えたところ、「そうなりたいです。丁寧に聞いてくださり、ありがとうございました」と、最後は落ち着いた口調で電話が切れた。

 電話相談を始めたばかりの同僚から、どうやって相談者の話を聴けばよいかと、よく尋ねられる。皆さん、電話相談のための勉強はよくしているので私は「相手のことを大事に思う心が大切ですよ」と答えている。
 先の怒りが抑えられない相談者のような場合でも、表面上の言動ではなく、怒りをあらわにせざるを得ない苦しい状況にいる、またはつらい経験があるのだろうかと思いながら話を聴いていく。その言葉や態度を全ては肯定しないが、相手の存在を認めるよう努めている。

 カウンセリングには、重要な心掛けとして「共感」がある。今、その時の感情を、ありのまま聴いていくことである。時に理解し難い考え方の人もいるが、自分の考え、常識はちょっと脇に置いて聴くことで、「ああ、つらかったろうな」と、相手の心に寄り添い、深く理解することができる。そのことで、相手の中に立ち直りのきっかけが生まれることがある。このように自分の心と他人の心を重ね合わせる「共感」は、「神様の心」だと、私は思っている。
 最初はぎこちなく電話を受けていた同僚も、本当に相手のことを大事にできてくると、相手に寄り添った受け方になってくる。相談を通して、自分の方が救われたと語ったり、日頃の生き方さえ変わってくる人もいる。そんな仲間たちと、より良き相談員となれるよう今でも研修を続けている。
 信心する者なら、なおさら、人間が持つ「神様の心」を磨かせてもらい、優しい心で日々、苦しみを抱え生きている方々の幸せを祈りたいと思っている。

久岡 光治(電話相談員/岡山県烏城教会長)

投稿日時:2020/08/13 09:49:09.745 GMT+9



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