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教会で私も変わりたい【金光新聞】

何かが変わるかも

 宗教とは縁もゆかりもなかった優子さん(56)が、金光教の信心に出合ったのは、30年ほど前のことです。
 家族を含めて健康面や経済的に取り立てて問題を抱えていたわけではありませんでしたが、優子さんは一人、もんもんと悩んでいました。というのも、正義感が人一倍強い優子さんは、つい他人に厳しく当たってしまい、周りをうんざりさせることが多々ありました。それは子育てでも同じで、何かと叱りつけてしまうのです。そして、「言い過ぎた」「ああすれば、誰も傷つけずに済んだのに…」と後悔ばかりでした。そんな性格を直したいと思いはしても、どうすればよいのか分からずにいたのです。

 そんな時、同じアパートに住むママ友の高田さんから金光教のことを聞きました。日頃から高田さんは、「さっき、教会にお参りしたところなの」とよく言っていました。優子さんは、自分を変えるための糸口が何か見つかるかもしれないと思い、どんなことを教えてもらえるのか尋ねてみました。
 すると、高田さんは「世間では『目には目を』と言うけれど、私がお参りする金光教は、人に頭をたたかれても『私は大丈夫ですが、あなたの手は痛みませんか』という心になれる宗教なのよ」と教えてくれました。優子さんは、世の中にそんな生き方があるのかと、とても驚いて「私もそういう人間になりたい。行けば、何かが変わるかも」と直感的に思いました。
 それから優子さんは、高田さんと一緒に教会にお参りするようになりました。優子さんは正義感が強い分、純粋で根が素直です。教会の先生のお話をどんどん吸収し、家庭の中で生かそうとしました。ある時、教会の先生は優子さんに、お礼を言う心の大切さを教えてくれました。それまでは、しつけとして子どもたちがきちんとお礼を言えるよう厳しく言い聞かせていた優子さんでしたが、それからは自ら進んで周りの人に「ありがとう」と感謝を伝えるよう努めました。そして、子どものことをできるだけ褒めるように心掛けました。

「ここに置いておかなければよかったね」

 最初はなかなかできませんでしたが、「まずは、そう言えることが大切。そのうち心が伴ってくるから」という先生の言葉を支えに取り組み続けました。すると、だんだんと叱ることも減り、子どもへの接し方も穏やかになっていきました。
 そんなある日、息子が食卓の上の醤油差しを倒してしまったことがありました。思わず叱りたくなるのをぐっとこらえて、「お母さんが、ここに置いておかなければよかったね」と言うことができました。その数日後、今度は優子さんが畳の上にあった息子のおもちゃをうっかり踏んで壊してしまいました。すると今度は、「僕がここに置きっ放しにしなければよかったよね」と、息子が言ってくれたのです。

 優子さんを見る周りの目は、いつの間にか全く変わっていました。以前の優子さんを知らない人に、「前は、きつい性格だったのよ」と話すと、今の穏やかな姿からは想像できないと、驚かれることもしばしばです。
 その後、子どもたちは皆、とても素直に育ち、教会でご用できるようにと大学でお琴のサークルに入った子もいました。優子さんはそんな子どもたちの成長に、神様のお働きと信心の確かさを感じずにはいられません。子どもたちにも信心して幸せになってほしいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年9月15日号掲載
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2020/09/23 10:22:44.613 GMT+9



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