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お差し向けという種

金光教報 「天地」1月号 巻頭言

 新年明けましておめでとうございます。
 新しい年を迎え、カレンダーやスケジュール帳には予定がいろいろと書き込まれていると思います。新型コロナウイルス感染症の影響が見通せない中、「どうぞお繰り合わせを頂いて、一つひとつの御事が成就していきますように」とお願いするばかりです。
 さて、この「お繰り合わせ」という言葉は、英訳教典では「divine arrangement」という英語が使われています。これを再び日本語にすると、「神様の段取り(アレンジ)」となるのでしょうか。
 ところで、「お繰り合わせ」をお願いする時、私たちは自分にとって都合の良い段取りになるようにと、お願いしていないでしょうか。しかし、神様の段取りは、私たちの思いを超え出てお働きくださることがほとんどです。お願いしていながら起こってくるのが想定外の難儀であったりすると、「どうしてこういうことが」と思ってしまいます。
 それでも、「きっと神様には深いみ思いがあってのことに違いない」と、そのみ思いの具体的な中身が今は分からなくても、それを神様からのお差し向けとしてまずは受け止め、先を楽しみに辛抱することで、やがて「ああ、そういうことだったのか」と、神様の段取りに沿ったお繰り合わせにたどり着く経験をしたことがあると思います。
 神様は、私たちに「お差し向け」という種を、いろいろな事柄をとおして蒔まいてくださいます。でも、その時には、この種はどんな花が咲き、どんな実がなるのかは分かりません。いつ花が咲き、いつ実がなるのかも分かりません。だから辛抱が要りますし、同時にそれは先の楽しみでもあります。お差し向けの種が蒔かれたら、それに水をやり、時には肥料を与えて、手間暇かけて育てなければなりません。
 この育てるという行いが「信心をする」ということなのでしょう。そして花が咲き、実がなった時に、「ああ、そういうことだったのか」と、神様がお授けくださろうとした「おかげ」がどんなものなのかが、初めて分かるのです。この花が咲き実がなる時がご時節であり、そのための段取りがお繰り合わせなのだと思います。これは、神様の大きな時間の枠で物事を受け止めていくことでもあります。
 その種が育っていくお役に立てれば、ということで、今年から、月1回発行の「金光教報」とは別に、増刊としての「教報別冊 天地」を本部の祭典時に合わせ、年4回出版することにしました。この「別冊 天地」は、神様の物差しが示す大きな時間や空間に触れていただけるようにと願って、信心の読み物を中心に、初号は4月1日に発行させていただきます。「別冊 天地」がお差し向けの種を育てる一助になれば幸いです。

教務総長 岩﨑道與

投稿日時:2021/01/03 14:00:06.714 GMT+9



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