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子どもに思いを伝える【金光新聞】

日課のお参りの道中

 私が実家で息子3人と遊んでいた時のことです。ちょうど実家に来ていた叔父が「子どもたちの話をよく聞いてあげてるね」と言葉を掛けてくれました。うれしいのと同時に、思い出す出来事がありました。
 私は当時、5歳の長男、1歳下の次男、まだベビーカーに乗せていた三男と夫の、家族5人で金光教の本部がある岡山県に住んでいました。
 金光教の本部や教会には、神様をお祭りしている「お広前(ひろまえ)」という礼拝の場があります。私の家は、本部のお広前まで徒歩5分ほどの距離にあり、息子たちとお参りするのが日課でした。しかし、幼い息子たちは、道中いろいろなものに興味を持ち、なかなか前に進んでくれないこともありました。

 ある日、長男と次男が「ようい、どん」と言っては少し進む、という遊びを始めました。そこで、私は2人の先を歩いて「ようい、どん」と言ってみました。すると、2人は目を輝かせて私の所まで走ってきてくれたのです。それを繰り返すうち、お広前に着くことができました。
 また別の日も、掛け声のおかげで順調にお広前に着き、拝礼を済ませて、金光様が座られているお結界まで進みました。皆で金光様に「今日一日、元気で過ごせますように」とお願いをした後、お結界から下がろうとしたのですが、息子たちが動こうとしないのです。
 「他の参拝者の迷惑になってはいけない」と思った私は、とっさに、小さな声で「ようい、どん」と言いました。すると、2人は再び表情を輝かせ、一目散にお結界を離れてくれたのです。ほっとして、2人の元へ行こうとした、その時でした。
 「ここは、運動場ではありませんよ」と、柔らかな声で金光様がおっしゃったのです。思わず、「はい」と返事をしたものの、私は「なぜ金光様は分かり切っていることを言われたのだろう」と不思議に思いました。

伝える、ということ

 疑問を抱えたまま、息子たちの元に行くと、また走る構えを取り、掛け声を待っているのが分かりました。そこで、私は気が付いたのです。「『ようい、どん』は息子たちにとって『走っていい』という合図だったんだ」 私は「他の人の迷惑にならないように早く動いて」という意味で言ったつもりでしたが、息子たちは、違う意味で受け取っていたのです。気付くということが、こんなにもありがたく感じたのは初めてでした。
 もしも、その違いに気付かず、息子たちがまたお広前を走ろうとした時に、「走っちゃだめ」と注意していたら、「さっきは走っていいって言ったのに今度は怒られた。怒られるからもう行きたくない」と、思わせてしまい、「いつかお広前が、息子たちにとって、大切で居心地のよい場所になってほしい」という私の願いもかなわなかったかもしれません。

 思いを伝えようとする時、正しく伝わっているかを理解すること、そして、もし間違っている時は、そのことに気付かせて頂くことも大切なのだと思わされました。
 以来、子どもの話を丁寧に聴くよう心掛け、神様に日々「間違って伝わっている時は、少しでも早く気付かせてください」と、祈るようになりました。そういう中での冒頭の叔父からの言葉は「神様に向かい、願いを忘れず稽古しているね」と言われたように感じました。この先も、子どもと共に成長させて頂きたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年11月17日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/12/24 07:41:08.981 GMT+9



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