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神様への御恩報じ、私も【金光新聞】

父から聞いた話

 「御恩報じ」。これは「受けた恩を忘れずに報いること」という意味があります。教会の初代教会長となった私の曽祖父が口癖のように語っていたそうです。
 私(56)は子どもの頃、突然、意識を失い倒れてしまうことがよくありました。元気に遊んでいると、いつの間にか記憶がなくなり、気が付くと保健室や病院のベッドの上で目を覚ますのです。後で話を聞くと、突然、体をけいれんさせ、泡を吹きながら倒れ込んでしまうそうです。一度、自転車に乗っていた時に交差点で意識を失って転倒し、危うく車にひかれそうになったこともありました。何の前触れもなく発作が起こるので、私は子どもながらに将来への不安を感じていました。

 その頃、父はよく私に、日露戦争で出征し、旅順攻略戦での激戦地だった「203高地」に送られた曽祖父の話をしてくれました。曽祖父は、203高地の戦いで、機関銃の弾丸の雨あられの中を、必死に「生神金光大神様、生神金光大神様…」と唱えながら前進し、一発の弾も受けることなく一番乗りをすることができたそうです。曽祖父の部隊は、200人で構成されていたそうですが、生き残ったのはわずか2人で、その1人が曽祖父だったそうです。
 仲間のほとんどが戦死してしまった中で、戦地から生還することができた曽祖父は、神様に命を救って頂いたことへのご恩に報いるため、お道の教師となり、九州の離島での布教に赴きました。そして残りの生涯を、人が助かることのためにささげたのです。
 203高地の戦いは、後に映画化され、私も小学4年生の時に見ましたが、戦争の恐ろしさを思い知らされるような、とてもショッキングな内容でした。そんな場所に曽祖父がいて、実際に戦っていたことに衝撃を受けるとともに、「この神様は無数の弾丸が飛び交う中ですら守ってくださるんだ。なんてすごいんだろう」と感動しました。そして、「そんな神様が私の後ろ盾になってくださるなら、こんな心強いことはない」と思うようになりました。

未来を担う後の世代へ

 それからというもの、自分自身の病気のことを神様に真剣に祈れるようになったばかりか、何かあるたびに友人のことも祈るようになっていました。すると、発作がいつのまにか一度も起こらなくなっていました。
 その後、私は教会修行に入り、信心の稽古を積み重ねていく中で、自分の人生が自分1人だけのものではないことに気付いていくようになりました。203高地の戦いで、筆舌に尽くし難い恐怖を味わいながら、神様におすがりして助けて頂いた曽祖父の「命」、そして、その曽祖父の願いを受けて教会のご用に当たった祖父、そして父の「命」。そのような「命」の歴史が積み重なっての私の命であると理解できたのです。

 現在、私はお道の教師として教会でご用をさせて頂いています。曽祖父の子孫は、111人になり、皆お道の信心を頂いて、幸せな人生を歩んでいます。そのうち26人の者がお道の教師にならせて頂きました。もし曽祖父が日露戦争で戦死していれば、後の世代の私たちの運命は、全く違ったものとなっていたことでしょう。
 私もまた、曽祖父の神様への「御恩報じ」の思いを大切にするとともに、未来を担う後の世代に受け渡していきたと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年12月22日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/12/29 05:05:00.186 GMT+9



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