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神様が生まれる一言を【金光新聞】

がんと二人三脚で

 「そんなに出したら、水がもったいないでしょ」。私(52)は、蛇口から流れる水の音を聞いて、洗面台に立つ息子(23)に言いました。責める気持ちを抑えながら言ったものの、「私が母から教えてもらった大切なことは伝わらないだろうな」と反省しました。
 私の母は18年前にがんで亡くなりました。金光教に全く縁のない家庭で育ちましたが、金光教教師である父との結婚を機に、教会での生活が始まりました。母は、幼い私が「そこまで時間をかけてすることもないのに」と思うぐらい、一日中、いろいろな場所を黙々と掃除していました。
 母はがんが見つかってからも本人の希望で自宅療養していましたが、お見舞いを兼ねて帰省するたびに目にしたのは、今まで通り掃除している母の姿でした。

 ある日、母から「最近、掃除機を持ち上げられなくなってねえ…」と電話がありました。掃除できない場所があるのを残念そうに話すのですが、その口ぶりはどこかさばさばしていました。
 今思うと、生きがいとしてきた掃除のご用ができなくなったことを母なりに受け入れ、死に臨む覚悟を持ったのだと思います。それを示すように、母は同じような言葉を二度と言いませんでした。
 がんが進行し、激しい痛みに襲われるようになっても、母は恨み言を決して口にしませんでした。そして、母は「がんと二人三脚で生きていく」と、父に言ったそうです。父は「わしとだろう」と聞き直しましたが、母は「がんと」とほほ笑みながら返事をしたといいます。
 自分がここまで生きてくることができたのは、全て神様のおかげなのだから、がんも神様から与えて頂いたものとして、神様と共に生きていこうと思ったのでしょう。

「もったいない」って

 その頃になると、父もかなり疲れている様子でした。日中は教会のご用の合間を縫って、家事と母の身の回りのお世話をしていました。夜も母のそばで休み、十分な睡眠がとれているようには見えませんでした。
 そこで、せめて週末だけでも父にゆっくりしてもらおうと、毎週末、教会に帰ることにしました。炊事と洗濯は手早く済ませ、母のためにも、とにかく掃除することに努めました。
 ある時、掃除が一通り済んだ後、母に「他に掃除してほしい所ある?」と尋ねたことがあります。すると、何かをつぶやいたのですが、聞き取れませんでした。聞き直すと、母は「もったいない」と言って、そっと目を閉じたのでした。
 私が子どもの頃に聞いた母の「もったいない」からは、「物を粗末にしては駄目」という思いがひしひしと伝わってきました。しかし、その時に聞いた母の言葉からは、神様のお働きの中で、多くの人たちのお世話になって生かされている「ありがたさ」を感じたのです。
 神様が日々下さるおかげの数々を全て受け取ろうと思っても、人間には余りあるものです。そのあふれる神様のみ思いに気付いた時に、思わず母の口をついて出た言葉が、「もったいない」だったのだと思っています。
 同じ「もったいない」という言葉を口にするにしても、そこに神様が生まれ、喜びが広がるような一言でありたい。母から教えてもらったこのことを息子たちに、そして周りの人へと伝えていきたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年1月19日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2021/01/19 11:11:42.761 GMT+9



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