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変わるべきは私だった【金光新聞】

「トイレに行きたい!」

 6年前、当時92歳だった母が、転倒して大腿(だいたい)骨を骨折して入院した時のことです。介助のため病室に行くと、母がベッドに拘束されていました。私はびっくりして、看護師さんに理由を聞くと、「トイレに行きたい」と叫んで、骨折した足で立ち上がろうとするので、仕方なくそうしているということでした。
 私が付き添うからと拘束を外してもらいましたが、母は何度も起き上がろうとします。「足が折れてるから歩けないのよ」「おしっこは管を入れてるから大丈夫よ」と説明しても、母は「こんな所でできますか!」と怒るばかりです。次第に、母の表情は鬼のように険しくなり、看護師さんが近づくと激しく抵抗し、夜には30分おきにトイレに行こうともがきました。
 私は、熱心に信心していた母が別人のようになってしまったことにショックを受けながらも、毎朝、教会の先生に電話で、「以前のように母と意志の疎通が図れますように」と、電話でお届けをしていました。

 しかし、3週間たっても、母の状態は改善しません。疲れ果てた私は、教会に参拝した際、「神様がお喜びになることを第一に願って信心してきた母が、こんな状態です。信心する意味が分からなくなりました」と、やり切れない思いを先生にぶつけてしまいました。
 すると、先生は怒りもせず、「今の状況の中に込められた神様の願いを分からせてもらいましょう」と、穏やかに優しく語り掛けてくれました。その言葉を聞いた瞬間、私ははっとして、「私も神様や先生から祈られているんだ」と気付きました。と同時に、「どうか、神様の願い、そして、母の気持ちを分からせてください」と、願いの中身が変わっていたのです。

気持ちに寄り添う

 数日後、ふと母を見ると、穏やかな顔をしていることに気が付きました。思わず「今日はお天気がいいから気分がいいの?」と聞くと、母はニコッとほほ笑み、「そうだねえ」と返事をしてくれました。私は、久し振りに母と会話ができたことが飛び上がるくらいうれしくて、それからは、たとえ数分であっても、母と穏やかに過ごせた時間を喜び、教会にもお礼のお届けができるようになりました。
 母は昔から自立心の強い女性でしたので、母のしたいことを頭ごなしに否定するのではなく、「トイレは自分でしたいよね。そのためにも、少しずつ足を動かそうね」と、母の気持ちに寄り添ったコミュニケーションを心掛けるようになりました。私が変わると、母にも明らかな変化が現れました。病院のスタッフに対する言動も優しく穏やかになり、自然と母の周りでは、感謝や喜びの言葉が飛び交うようになりました。それとともに、母は驚くほどの早さで回復していきました。

 振り返ってみると、母の気持ちを理解しようとせず、以前の状態に戻ることだけを願っていた時は、時折見せてくれていたはずの穏やかな表情を見落としていたのかもしれません。難儀をつくっていたのは母ではなく私で、変わるべきは私自身でした。
 問題のとりこにならず、問題の中に必ずある喜びに気付くことが、神様の願いに添った生き方になることを教えて頂きました。それ以来、「悩みを抱えている人たちに、神様の願いに添って生きることの大切さを伝えられる私にならせてください」と、神様に願うようになりました。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年2月16日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2021/05/03 04:55:25.185 GMT+9



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