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「和賀心」感じた優しさ

どうすればいいのか

 私(50)が電車に乗っていた時のことです。途中から、視覚障害のある男性が乗ってきました。車内の座席は空いていたものの、男性は入ってきたドアの近くに立ったままでした。
 私は、「すぐに降りるのかな?」と思ったのですが、「たとえ1駅でも座ってもらいたい」という気持ちもありました。しかし、どうすればいいのか分からず、何もできないでいると、ちょうど車掌さんが通り掛かり、その男性に近くの座席を勧めてくれました。
 そこには3人の乗客が座っていましたが、車掌さんが声を掛けると、皆快く席を空けてくれ、男性はドアから一番近い席に座れました。
 その様子を見ていて、「自分一人で何とかしなくても、周りの人に力を借りればいいのか」と気付きました。そして、「もしまた同じような状況があれば、このように行動させてもらいたい」と思いました。

 それから半年後、駅のホームに並んで電車を待っていた時のことです。
 前に並んでいる男性が、白いステッキを持っていたので、視覚に障害のある人だと分かりました。私は半年前のことを思い出しながら、思い切ってその男性に声を掛けてみると、私の申し出を快く受けてくださいました。降りる駅を聞くと、同じ駅であることが分かり、目的地の駅まで、私が補助をさせてもらうことになりました。
 電車が着き、男性に私の肘をつかんでもらい、ドアから一番近い4人掛けのボックス席に誘導しました。その席にはすでに女性が2人、向かい合わせで座っていました。私が男性に空いている座席の場所を伝えていると、ボックス席に座っていた女性の一人が、「どうぞ」と言って、反対側の席に移ってくださり、おかげで男性と並んで座ることができました。
 私たちの状況を察して、移動してくださった女性の対応に、ありがたい気持ちになりました。
 目的の駅に着くと、男性は笑顔でお礼を言い、立ち去っていきました。私はその姿を見送りながら、「お役に立たせてもらえた」と、うれしい気持ちになりました。
 それからしばらくして、その男性を駅で2回見掛ける機会がありました。その姿は、ハンディキャップを全く感じさせないほど、自然で慣れた様子で、この駅を通勤で日常的に利用されているのだと気付きました。

逆に私が優しさをもらっていた

 半年前の私は「目が不自由だから、困っているはず。助けてあげなくちゃ」と、思い込んでいました。しかし、それは、「私が先入観で決め付けていただけのことで、その男性にとっては余計なおせっかいだったのかもしれない」と反省させられました。でも、それだけではなく、私の中に温かい思いも同時に生まれていました。
 男性が一人でもうまく行動ができるのにもかかわらず、私の補助の申し出を受けてくださり、さらに目的の駅に着いた時に、笑顔でお礼を言ってくださったのは、男性が私を優しく受け入れてくださったからだと、気付いたからでした。私は、その姿に、金光教の信心にとって大切なこととして、日頃から教えてもらっている「和らぎ賀(よろこ)ぶ心」を感じました。

 男性のお役に立っているつもりが、実は男性や周りの方々の優しさに包まれ、私が助けられていました。誰もが人を思いやる心を持っているのだと気付かされ、心が和んだ出来事でした。


※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年5月3日号掲載

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2021/06/24 11:42:53.551 GMT+9



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