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机の上でつながる祈り【金光新聞】

これがいいんだ・・・

 私(47)が奉仕するお広前のお結界で使っている机は、天板が無垢(むく)の木材でできた古い物です。
 教会は太平洋戦争時の空襲で、建物はもちろん、祭具から生活用品まで全てが灰になりました。その数年後に、祖父(当時40代)が教会を復興したのですが、お結界の机は、その時から変わっていません。
 20年前、お広前の参拝席を椅子にした時に、お結界も椅子にすることにしました。当時、教師になったばかりの私は、教会長だった父に「この機会に、もっと大きくて使いやすい机に新調しましょう」と提案しました。しかし、父は「いや、これでいい」とつぶやくように言いました。
 私が「椅子が新しくて机だけ古いのはおかしいし、この机は座卓(畳に座って使う和室用の机)だよ」と不満を言うと、「何とか足を付けて椅子用にする。先代教会長が使ってきたもので、とにかくこれがいいんだ」と、全く受け付けません。その時は、なぜ父がそこまで、かたくなになるのか分かりませんでした。

 その後、父は亡くなり、私が教会長のご用を継ぐことになりました。お結界に座り、改めて机の上にそっと手を置いてみました。まだらに色あせ、墨の染みがあちこちにあり、お世辞にもきれいとはいえません。しかし、何となく温もりのようなものを感じたのです。
 お結界の机では、参拝者のお願い事や神様へのお礼の言葉を、ご祈念帳に記します。ご祈念帳は、ご祈念のたびにご神前にお供えし、毎日、一つ一つの内容を繰り返し神様にお願いするものです。神様へのご祈念に欠かせないものであり、教会のご用にとっては生命そのものです。
 この机に刻まれた墨の染みの一つ一つは、父が日々祈りを込めながら、参拝者の願い事やお礼をご祈念帳にしたためてきた証しだと気付きました。すると、傷の一つ一つにも父の深い祈りが宿っているようにも感じられ、父のご用にとって、かけがえのない机なのだと初めて分かりました。

代々つながっている祈り

 思い返してみると、父が亡くなった後、「果たして私に、父がしていたように教会長のご用が務まるだろうか」と心配で悩むこともありました。
 そんな時、この机でご祈念帳に願い事を書き留めていると、「父もこんな気持ちになったことがあったのだろうか。もしかしたら、今の私と同じように悩んだり、不安になったことがあったかもしれない」と、感じたことがありました。
 父もまた、この机に向かって祖父のご用の姿に思いをはせていたのでしょう。この机を通して、父は祖父と共に歩み、ご用をしてきたのです。

 私もまた、お結界に座ってご祈念帳に書き記している父の姿や、ご神前で祈る父の姿を自然と思い出し、父のみたまが私のご用を見守ってくれていることを実感します。
 そして、祈りが代々つながっていること、さらに祖父、父という歴代の教会長のご霊神様に支えられて、今のご用があることを実感できました。
 時々、うっかり机に墨をたらしてしまった時、私はその墨を拭きながら、幾つも残る歴代の染みを見ながら、そんなことを感じています。
 最近、3歳の息子が、私のまねをしてお結界の椅子に座ろうとします。この机を使ってご用してくれる日を楽しみに、子どもと共に信心が成長するようおかげを頂きたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年5月17日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2021/06/30 15:02:03.323 GMT+9



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