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神様にお任せする心で【金光新聞】

やけどを負った私と母自身の助かり

 人は、何か問題に直面した時、さまざまな思いにとらわれ、苦悩するものですが、私(77)はそのたびに、中学3年生の夏休み最後の日に起きた出来事を思い出します。
 当時、私が生まれ育った教会は、夫を早くに亡くした母が一手に教会のご用を担っていました。母は、私のことまで手が回らないこともあったため、私はその日も台所で一人、おやつのドーナツを揚げていました。ところが、揚がり具合が気になった私が鍋をのぞき込んだ時、突然、ドーナツが破裂し、煮えたぎる油を顔全体に浴びてしまったのです。
 驚いて飛んできた母は、真っ先に大やけどを負った私の顔にお神酒(みき/神様に供えた酒)を吹き掛けました。しかし、顔はボールのように腫れ、まぶたがくっついて目が開きません。母は、「なぜこんなことになったのか」と思いを巡らす中で、あることに思い当たりました。
 この日は、教会で翌日に仕えられるお祭りのために、ご信者さんたちが教会のお掃除をしていたのですが、その中で数人が境内に除草剤をまいているのを見掛けたそうです。母は、「神様のお体であるご地面に、劇薬をまいたからでは」と考え、早速、神様におわびを申し上げたそうです。

 それから3日後、母は岡山県にある金光教本部に参拝し、金光様にお取次を頂きました。苦しい胸の内を明かすと、金光様は優しくこう話されました。
 「問題が起きた原因をあれこれ考えて迷うちゃいかん。おかげを頂く方に心を尽くしていかねば。『先はどうなるじゃろうか』と、心配を先に立てておっては、おかげにならん。『これくらいでよかった、目が見えんようになっても仕方がないのに、ありがたい』と、お礼を申していかねば。教祖様は『難はみかげ』とおっしゃっている。それには、まず本人が『どうでもおかげを頂く』という心になるように。子どもが助かる前に大切なのは、まずあんたが助かることじゃ。おかげになるか、ならぬかは、ここが別れ道じゃ」

金光様の厳しいお言葉

 それを聞いて安心した母が、「今日は他にも用事がありましたが、子どものことが気になりますので、帰らせて頂きます」と申し上げると、柔和だった金光様の表情が一変し、「ご用に来て、ご用をせんで帰って、あんたが子どもを治せるのか!」と、厳しく言われました。母は驚きながらも「そうだ。今帰っても自分には見守ることくらいしかできない。これはもう、神様にお任せして、仰せつかったご用をさせて頂こう」と、腹をくくったそうです。それまで、母は私の将来を案じてばかりいましたが、以来、神様に一心におすがりしようという思いになっていきました。
 私がやけどを負った時、医師を呼びに走った人が慌てて連れてきたのは内科医で、やけどは専門外でした。しかし、母は専門医に診てもらうことなく、最後までこの医師とのご縁を信じ、「神様にお任せする心」で、治療を受け続けました。そんな母の覚悟を、神様もお受け取りになったのでしょう。私の顔は、傷一つ残らず完治するおかげを頂いたのです。

 振り返ると、あの時母が頂いた金光様のお言葉は、私のやけどのことだけではなく、難儀の中からおかげを生み出す生き方を教えてくださったように思います。このお言葉は、私にとっても、おかげの道を歩ませて頂くためのつえとなっています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年5月24日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2021/07/29 11:16:06.256 GMT+9



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