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半人前の私でもお役に【金光新聞】

私は一人前のことができない

 私(53)は昨年、介護職から長年の夢だった保育士へと転職しました。高校を卒業し、働きながら通信教育で保育士と幼稚園教諭の資格を取っていましたが、転職する一歩が踏み出せずにいたのです。
 その理由は、就職後、体調を崩すようになり、タンパク尿や血尿が長期間続く慢性腎炎になったことでした。私は毎日、1日が無事に終わると、神様にお礼を申し、体調が悪い日は「明日は起きられますように」と祈りましたが、状況は思うようにいきませんでした。
 そして、いつしか「神様は本当に私のためにお働きくださっているのかな」と思い、「同僚のみんなは仕事も遊びも頑張れているのに、私は一人前の働きさえできない人間なんだ」と、自信をなくしていったのです。

 そんな中、幼稚園で2週間の教育実習が始まりました。毎日が体力勝負の中、残り2日を迎えた時のこと。血尿がひどく、医師から安静にしておくよう言われました。しかし「せっかくここまできたんだ。まだ頑張れる」と、私は自分を励まし、実習に行き続けました。
 無事に実習を終えたものの、体調は悪化し、自宅療養をすることになりました。そのため、予定より2年遅れで資格を取りましたが、その頃にはもう、私は保育士や幼稚園教諭として働くことを諦めていました。頑張ってもうまく結果がついてこなかったことで、余計に「私は一人前のことができない」と感じるようになっていたのです。

子どもたちの真っすぐな瞳に

 年月がたち、昨年のこと。近所にある保育園が、臨時職員の募集をしていました。ふと「ずっと諦めていたけど、今は健康状態もいいし、やっぱり保育士の仕事をやってみたい。年齢を考えると、このタイミングは神様がくれた最後のチャンスかも」と思え、挑戦する気持ちになれました。
 働き始めると、私の体力では人より短い時間の業務がやっとでしたが、保育士の仕事ができることがうれしく、毎日が新鮮でした。しかし一方で「短時間しか働けないのは、私が一人前の仕事ができないから。この状況が神様のお働きなの?」と、素直に喜べない気持ちもありました。
 そんなある日、「せんせー」という元気な声とともに、園児たちが私の胸に飛び込んできてくれました。私は驚きながらも、子どもたちの真っすぐな瞳を見ていると、何とも言い表せない思いが込み上げてきたのです。
 「ああ、この子たちには正社員もパートも、立場は関係ないんだ。ただ純粋に私と過ごす今を喜んでくれているんだ」
 そう思えた瞬間、「私が抱えていた『一人前の働きができない』という思いは、『どうせ私なんて頑張っても半人前。人より劣っている』という卑屈な思いに縛られていただけだった」と気付かされたのです。この時以来、私はなんだか肩の荷が下りたように心が楽になりました。

 きっとこれから、体力的にもできないことは多くなると思います。でも、そんな時「どうせ私なんて」と思うのではなく、「人よりできないことのある私でも、お役に立たせてもらっている。お役に立てる場所がある」という謙虚さに変えて、できることを素直に喜び、できないことは周りの方に助けてもらえることを喜べる、そんな生き方をしたい
思えました。
 そして、こういう思いになれたことが、神様のお働きだったのだと、今では思うのです。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2020年7月5日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2021/08/16 12:31:48.284 GMT+9



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