title.jpg

HOME › 秋季霊祭を迎えて おかげを頂いたことを前に押し立てて

秋季霊祭を迎えて おかげを頂いたことを前に押し立てて

金光教報 9月号 巻頭言

 秋分の日は、本部広前をはじめ各地のお広前で秋季霊祭が仕えられる。本部広前および各教会の広前には、それぞれの時代にあって、神様と出会い、おかげを頂かれ、お道の上に尊い足跡を残してくださった先人の霊神(みたまのかみ)様が奉斎されている。
 「こんなに(認知症に)なったけれど、おかげを頂いていることを前に押し立てて生きていきたい。一人ではできないけれど…」
 この言葉は、ある師の夢の中で、霊(みたま)となった母親が満面の笑顔で伝えてくれた言葉である。
 この母親は60代で認知症を発症し、83年の命を頂いた。
 師は、母親のお国替えの後、病にあって長年生かされてきたことにお礼を申しながらも、心のどこかで、「母は、あんなに一生懸命に御用にお使いいただいてきたけれど、早くに認知症を発症するなんて、神様に何かご無礼があったのだろうか。神様のおぼしめしにかなわないことがあったのだろうか」という思いが消えなかった。
 しかし、夢での母親の言葉に、「神様は、母に若い時から、たびたび本部広前に参拝する機会を与えてくださり、金光様の御取次を頂く機会をくださった。そして、み教えを頂きながら、生活の中で稽古する時間も作ってくださっていた。母はきっと認知症発症の後も、多くの大切な事を教えていただいてきたのだ」と気付かされたという。
 そう思えた時、母親が夢に出てきてまで言葉を伝えたのは、師の神様に対する疑念を感じ取り、「認知症にはなったけれど、おかげを頂いてきたことをあなたも大切にしてほしい。神様にお礼を申してほしい。そのことで、私も霊として生き生きと御用にお使いいただけるのだから」と、師が神様に心を向けられるように、ということでもあると思えた。
 母親の「おかげを頂いていることを前に押し立てて生きていきたい」という言葉は、たとえ難儀を抱えていたとしても、それまで神様から頂いてきたおかげに心を向け、繰り返しお礼を申す稽古をしながら、神様との関わりを深めていくということだろう。また、「一人ではできないけれど…」とは、たとえ自分が亡くなっても、生きている者が神様のおかげを受けてくれなければ、私も霊として生き生きと働くことができない、助からない、と伝えてくれた言葉であろう。
 霊祭をお迎えするに当たり、私たちも関わりある霊神様に思いをはせ、その生前中の信心の歩みの中で、御取次によって天地金乃神様に出会われ、神様のありがたさと信心の喜びを残してくださったことにお礼を申し上げたい。そして、日々私たちを守り導いてくださっているそのお心とお働きにお礼を申すことを大切にしたい。

メディア 金光教報 巻頭言 

投稿日時:2021/09/01 08:30:05.045 GMT+9



関連記事
このページの先頭へ