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死に際し頂く「おかげ」 の意味【金光新聞】

「安楽死」 …向き合う家族の葛藤

 「安楽死」をテーマにした映画や小説は、森鴎外の『高瀬舟』をはじめとして、これまで数多く作られてきた。しかし日本では、安楽死に関わった医師の逮捕がスキャンダラスに報じられたり、有名人が声を上げて注目が集まったりはするが、その本質をめぐる話題はタブーのように扱われている。

「長く生きて」「安らかに逝って」


 おととし6月、NHK総合テレビで放映された「安楽死」をテーマとしたドキュメンタリー番組は、大きな反響を生んだ。進行性の神経難病を患った日本人女性が、スイスに渡り、自ら点滴のレバーを操作して、静かに息を引き取る様子をありのままに映したのだ。その女性は生前、「安楽死」をみんな(日本)で考えることが自分の願いであると、切々と訴えていた。
 「安楽死」は、次の三つに分けて考えるのが一般的である。①医師が薬物を投与し、患者を死に至らせる行為②医師から与えられた薬物で、患者自身が命を絶つ行為③延命治療の手控えと中止。スイスは②のみが認められており、先の女性はそれに当たる。特に法制化されていない日本でも、③の延命治療の手控えは終末期の医療現場で日常的に行われている。
 ただし、ここで確認しておきたいのは、「安楽死」には、世界の国々共通の定義や学術的に公認されたものは存在しないということだ。加えて、「安楽死」は安楽な死とは違う。というのも、苦痛などで「安楽には死ねないような状況」にいる人に対して、何らかの意図的行為で生を終わらせることだからだ。(安藤泰至『安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと』岩波書店)
 私の在籍する教会にお参りする方が、自らの体験を聞かせてくれた。21年前、22歳の娘さんをがんで亡くした男性である。がんの進行で鎮痛薬の効きが悪くなって、主治医の勧めもあり、それ以上の治療を中止する選択をした。最期は、鎮静剤で意識を低下させ、苦痛から解放する処置を行ったそうだ。彼はこのように語る。「再発が分かり、抗がん剤治療をする娘が『治るなら頑張るけれど、そうでないならもういい』と言いました。今、安易に安楽死を認めると、社会に〝必要のない命〟という考えを生む危険があるでしょう。でも、私は、逃れられない苦痛からの解放を願う人に我慢を強いるのは、周囲のエゴのようにも感じます」
 さらに、「やがて消える命、少しでも長く生きてほしいと願うのが親心なら、少しでも安らかに逝ってほしいと願うのも親心です。その葛藤を私と妻の間で抱えました。たった一つの後悔は、当時は今ほど神様を信じていなかったことです。一心に願い、娘を思う心の深さを妻と分かち合えていれば、気持ちの乖離は生まれていなかったと思います」と、残された家族の苦悩を語ってくれた。

葛藤抱えて愛情と祈りを共有し


 冒頭の番組では、「安楽死」に同意した姉2人に対して妹は反対し、番組に寄せた手紙の中で「人の力を借りないと生きられない自分でもいいんだ、と思ってほしかった」と心の内を打ち明けている。また、看護師で作家の宮子あずささんは、看護現場で関わった入院患者たちの最期に関して、「亡くなる人とその近しい人たちは、こんなにも必死に、時にのんきに日を送り、いよいよその時になって、予想もできない反応を見せたりする。いろいろ準備をしてきたつもりでも、思ったようにならない、『整わない現場』がそこにある」と著書で述べている。
 教祖金光大神様のみ教えに、「神様のおかげで生まれてきた人間じゃもの、死ぬるのも神様のおかげでのうて死ねるものか」とある通り、おかげの中で生きて、そして死んでいくのは、本人はもちろん周囲の人たちも同じだ。たとえ、亡くなる本人の最期に関して考えの違いがあっても、本人への愛情と祈りは共有できるだろう。その際、「神様はどう見ておられるか」という神様からの視点を持てることも大切だと思う。
 天地の間で日々命を頂き、生きても死んでも天地のお世話になる者として、死に際して頂く「おかげ」の意味を問い続けたいと思っている。

「フラッシュナウ」金光新聞10月10日号
文/四斗晴彦(大阪府枚方教会長)

投稿日時:2021/11/26 10:55:19.188 GMT+9



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