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「道が伝わる」

金光教報 5月号 巻頭言

 「お手びき」「お道びき(導き)」「信心継承」について、いずれもなかなか出来難いとの話が聞かれます。「伝える」ということは、誰でもできることでありますが、それが「信心を」となると、ハードルが上がっていきます。そして、「どのように」となると、つい方法論に意識がいってしまい、そこからは創意工夫へとなっていくような感じがします。
 今、ご信心をさせていただいている方のほとんどが、先祖や親、または友人知人などのお導きによって、この道に出合い、信心を進めておられると思います。「どのように」ということは、おそらく一様ではなく、例えば「親から伝えられた信心」といってもその伝わり方は人それぞれでありましょう。伝わる時間軸も、衝撃的な出会いや奇跡的なおかげを頂いたことによって神様と出会い、そのお働きをすぐに実感したという場合もあれば、周囲の人たちの長年の祈りの中にようやく神様に心が向いたということもあり、皆違いがあることでしょう。
 そうした道の伝わり方の違いはあれども、ありがたさから溢れ出てくる、何とか「この神様、このお道を伝えたい」という熱意や情念が、人の心を動かしていき、この道が伝わる基になってきたことは確かなことに思われます。
 教祖様は、神様のみ働きやおかげというものを実感されるにつれて、ありがたさが日々広がり深まっていかれたと思います。み教えに、「神様が金光大神に教えてくださり、話して聞かせよと言ってくださるから、話してあげる。それを聞いて、子供にでも他人にでも話して聞かせてあげよ。めいめいにそれを心得、天地の神様はありがたいとわかって信心する人が一人でもできれば、神様がお喜びになる。そうなれば、あなた方も神様のご用に立つこととなる」とありますが、神様のありがたさを実感していく人たちが生まれ、神様がお喜びくださることを願われながら、日々の御用に当たっておられたのであろうお姿が目に浮かびます。
 けれども、そうした思いとは裏腹に、神様のおかげを頂けばそれで満足として、信心をやめる人たちも多くいたことがうかがえます。そうしたおかげ目当ての一方通行の信心を、神様のみ思いを分からせていただき、神様のお役に立たせていただく「神人あいよかけよで助かり立ち行く」信心への成長を願われ、そこに教祖様はいかに骨を折っていかれ、取り組まれたのかを思います。道伝えが難しいといわれる今だからこそ、そうした教祖様のご信心のあられようを一層に頂かせてもらいたいと思います。

総務部長 山本正三

メディア 文字 金光教報 巻頭言 

投稿日時:2022/05/02 15:31:57.147 GMT+9



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