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みたまの助かり夢でお知らせに【金光新聞】

手紙を書いた2日後

 私(39)は27歳の時、今も奉仕している金光教の教会で、教会長に就任しました。分からないことも多く、やる気と緊張が隣り合わせの毎日でした。
 そんなある日、信徒の喜美子さん(75)が重い病気を患い、入院したと聞きました。私は、すぐにお見舞いに行った後、回復を祈りながら手紙を書きました。
 しかし、その2日後、容体が急変し、喜美子さんは亡くなりました。私は突然の訃報に気が動転しました。そして、私のご祈念が足りなかったのではないかと、自分を責める気持ちと、祭主として無事に葬儀が仕えられるだろうかという不安が、一気に押し寄せてきました。
 私は、神前でひれ伏し、不安な気持ちのままに、神様に祈りました。しばらく祈っていると、私の心に、「格好をつけていても仕方がない。真心で一生懸命させて頂き、後のことは神様にお任せしよう」という言葉が響いてきました。改めて神様に「自分にできることを一生懸命させて頂きますので、足らないところは足してください」とお願いしました。
 私は、生前中のお礼と葬儀の打ち合わせのため、喜美子さんのご家族を訪ねました。一通りのことを終えた後、私が2日前に出した手紙について聞いてみると、まだ届いていないようでした。もっと早く出していればと後悔しながら、その日は教会へ帰り、終祭(お通夜)の準備に取り掛かりました。

お手紙読みました」

 翌朝のことです。妻が、「喜美子さんの夢を見た」と興奮しながら話してくれました。
 夢の中で喜美子さんは、 「お手紙ありがとうございます。読ませて頂きました。また、お見舞いに来てくださり、ありがとうございました。今は手も足も自由に動きまして、しんどくありません」とおっしゃったそうです。そこに息子さんが来て、喜美子さんに着物を着せてあげたところで目が覚めたのでした。
 妻の話を聞いて、「今は手足も自由でしんどくない」ということは、喜美子さんは、病気の苦しみから解放されたんだと思いました。私は、喜美子さんはみたま様となって助かっておられると感じました。神様にお任せすると、夢を通してでも亡くなった人のことを教えてくださるのかと思うと、「神様が見守ってくださっている。葬儀のことはもう大丈夫だ」と、安心感で満たされたのです。

心配は神様に任せて

 その夜、無事に終祭を終え、私と妻が喜美子さんにごあいさつをしようと、ひつぎのそばに歩み寄りました。喜美子さんのお顔を見た途端、妻が驚いて、 「夢と同じ着物を着ている」と言うのです。
 私も驚き、その場でご家族に、妻が見た夢の話をしました。ご家族もびっくりしながら、「実は」と、私たちにこんな話をしてくれました。
 「先生の手紙が昨日、 家に届いたのですが、消印がないんです。きっと、 母のみたま様が先に読んでいたから、遅れて届いたんでしょう。それと、母が亡くなる前、一時帰宅で介護タクシーに乗った時、運転手が教会で顔見知りの信者さんだったんですよ。神様のお計らいだと思いました。神様、みたま様のなさることは人間業ではありませんね」
 思いもかけず、ご家族と信心の話が弾み、翌日の告別式でも、お互いにありがたい気持ちで喜美子さんを見送ることができました。
 心配なことは神様にお任せし、足りないところを足してもらう。この時学んだことを今も大切にしながら、ご用をさせて頂いています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

「心に届く信心真話」2021年9月12日号掲載

メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2022/09/13 10:00:00.861 GMT+9



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