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教務総長 西川 良典 (大阪府・藤井寺教会)

「生き方の向きを変える」 令和2年ラジオ年頭放送



 皆様、新年おめでとうございます。ともどもに令和2年の新春を迎えさせていただきましたこと、心よりお慶び申し上げます。
 さて、私たちの社会には、地位や名誉、それに学歴、財産といったものを尊ぶ風潮があります。それによって人柄や家柄というものを評価するわけです。例えば、会社では、課長より部長、部長より社長というように、肩書きが上がることに価値があると考えます。
 一方、金光教の信心では、世間のそうしたものを認めないというわけではないのですが、問題にしなくてもよいのです。肩書きのあるなしにかかわらず、その人がどのような生き方になっているかということのほうに重きを置きます。
 ご信者さんで、ある会社にお勤めの女性がおられます。その方は、会社の創業祭の責任者になったので、その取り組みについて、神様にお願いするために、先日教会へお参りにこられました。
 これまでの経緯、各担当ごとの内容、地域社会や顧客への広報などについて、お話しされました。お話を聞いていくうちに、その方は、「自分は一生懸命にがんばっているんですが、ちぐはぐなことばっかりが起きてくるんです」と言われ、まさに孤軍奮闘の状態にあることが分かってきました。そして、「自分を責任ある立場に祭り上げておきながら、上司や部下の協力がない」とだんだん感情をあらわにされ、しまいには、「長い間、会社のために尽くしてきたのに、会社の協力が得られないということであれば、この際、夫とも相談して、辞めたいとさえと思うのですが、どうでしょうか」とおっしゃったのです。
 私は、お話をじっと聞かせてもらいながら、神様に祈りました。すると、互い違いなことばかりが起きてくる、みんなの協力が得られない、裏切られたというような感情しか持てないというのは、この方がふだんの生活から根本的な考え違い、心得違いをしてしまっておられるから、土壇場でそうしたことになるのではないかと思ったのです。
 そこで私は、その方に申し上げました。
 「教会へお参りするというのは、自分の生き方を神様の願いに添った生き方に正していくためなんです。お話を聞き、教えに添った生き方に正す。神様の願いと私たちの願いとがずれていては、おかげは頂けません。例えば、私たちはこのようなおかげを頂きたいと願っている。神様のほうは、神様の願いに添った生き方をしてくれと願っておられる。このように両者の願いがちぐはぐであったら、おかげを頂くことができないのですよ。
 教会で聞いたお話を家庭や職場で実践することが大切なんです。私たちを生かしてくださっている天地のお恵みや、生活していくのにお世話になるものへ心を込めてお礼を申していくという生き方は、一見何でもないように思われるかもしれませんが、このことは家を建てる際の基礎工事をしているようなものなんです。基礎工事さえしっかりしておれば、どんな家でもビルでも建てることができるじゃないですか。
 ところが、往々にして自分の都合だけをお願いする、目先のおかげさえ頂けばそれでよいという生き方になりやすいところがあります。このような「神様を使う」だけの生き方では、基礎工事ができていませんから、いざ家を建てようとした時に、柱が足りない、瓦が届いていない、請け合った業者が日程通りに仕事をやってくれないというように、互い違いなことが起こってくるんですよ。
 「神様を使う」だけの生き方では、神様が向こうの方におられて、こちらから一生懸命にお願いするという一方通行になるんです。自分のあり方を問題にしなくてもいいわけです。しかし、それでは必ずあとから、「私は一生懸命に頑張ったのに、誰も労いの言葉を掛けてくれなかった」「私の努力があったからこそ、立派にできたのに」というように、周囲の人たちに対して恩着せがましい心が湧いてきます。それでは、神様の願いに添うことにはならないのです。
 一方、「神様に使っていただく」という生き方は、教えをよく聞き、実践する、つまり体の中でお働きくださっている神様を現していく生き方です。「神様、ここまで出来ました」とお礼を申し上げ、「次は、このようにさせていただきますので、よろしくお願いします」とお願いをする。そうすると、神様がご都合を付けてくださり、思った以上に仕事が展開していくんです。
 もし、あなたが本気で教えに取り組めば、お世話をくださった人をいとおしむ心が生まれてきます。よくも私のような者を会社に置いてくださったものだ。私のような使いにくい人間についてきてくれる、というように、謙虚な気持ちになり、感謝の心が生まれてくるんですよ」。このように申し上げました。
  するとその方は、「よく分かりました。最近は忙しさにかまけて、お参りをしてお話を聞くことができておりませんでしたから、自己中心になり、心がすさんでおりました。 そのすさんだ心が自分に跳ね返って、周囲の人を責め、仕事を辞めようかと、寂しい思いをしなければならなかったんですね」とおっしゃいました。
 信仰の世界では、「神様を使う生き方」から、「神様に使っていただく生き方」へと、その向きを変えることが大切であります。そのような向きになれば、周囲の協力が得られ、盛り上げてくれる。そのようなおかげを頂きたいものであります。
 どうぞ、皆様にとりまして、今年がよい年になりますように、お祈り申し上げます。

令和2年 新春  



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