信心運動

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教報天地 9月号 願う前から働いてくださる親神様

おかげの始まり

 昨年は、前教主金光鑑太郎様がご帰幽になられて20年のお年柄でした。その10年前、10年祭の時に刊行された冊子に、前教主金光様が昭和58年の年頭ラジオ放送でお話しになられた内容が掲載されています。

 「いつも思うことであり、当たり前のことでありますが、私ども人間、世界中の人が、今日までの歴史のなかで、だれ一人として、自分を生んでくれといって生まれてきた人はないのであります。天地自然の恵みのなかに、いのちの働きがずっと続けられ、生まれた所や時やいろいろなことはそれそれに違いはありましても、みな、親の子として生まれてきたということ、恵みのなかに生まれてきたということは、同じであります。お世話になって、いのちを頂いて生まれてきたという事実、これが人間の出発であり、いのちの出発であると思います。赤ん坊のときは何もわからないので、お礼も申しませんが、ほんとうは、恵みのなかにお世話になって生まれてきたことにお礼を申す、そこから出発しているのであると、しきりに思うのであります」

 前教主金光様は、「お世話になって、いのちを頂いて生まれてきたという事実、これが人間の出発であり、いのちの出発である」と仰せになっています。このたび発足した「神人あいよかけよの生活運動」の「願い」に、「神のおかげにめざめ」とありますが、私たち一人ひとりにとっての「神のおかげ」の出発は、この世に命を頂いて生まれてきたことだと思います。

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 頂いた長男のいのち

 今年、私の長男が金光教教師にお取り立てを頂きました。長男が、神様のご用に立たせていただきたいという願いを持つようになった理由の1つに、出生時に大きなおかげを頂いたことがあります。  長男が生まれた22年前、夜中に、妻が生理痛のような痛みで目が覚め、痛みの間隔が短くなってきたので、病院に行きました。私が廊下で待っていると、分娩室から、「神様、金光様」と叫ぶ妻の声がしました。医師と看護師の出入りが激しくなり、どれほど時間がたったでしょうか、かすかな泣き声が聞こえてきました。

 後で医師から説明されたのは、「分娩時に羊水を飲んで窒息し、仮死産でしたが、管を入れて呼吸をさせ、胃から羊水を吸い取って、蘇生させることができました」ということでした。妻の「神様、金光様」という声を聞いた時には、すでに長男は生まれていたのです。

 翌日、「仮死産だったので、脳や神経系の障害が起こるかもしれません。集中治療室がある小児科病院に転院してもらいます」と言われ、長男だけが救急車で運ばれました。

 転院先では医師から、「仮死状態を示すアプガールスコアが、10点満点で3点ですから、強度の仮死産でした。まず脳に大きな負担がかかり、筋肉や心臓に影響が出てきます。今のところ脳に出血はありませんが、頭蓋骨に収まる以上に脳が膨れてくると出血するので、それを防ぐ治療をしています。また、お子さんには徐脈があり、それも心配です」とのことでした。

 妻は生まれてきたわが子を抱くこともできず、翌日から病院の授乳室で、ほかのお母さんたちが赤ちゃんに母乳をやっている横で、自分で絞った母乳を冷凍パックに入れていました。それを私が、長男が入院している病院に運ぶのです。

 寂しい思いであろう妻と、「あの子は神様に命を助けていただいて、今、小さな体で一生懸命生きようとしている。そのことにお礼を申し、神様のご用に使っていただける体と心をお与えくださいと、お願いさせていただこう」と話し合いました。

 集中治療室に入っていた長男は、おかげを頂き、3週間で退院させていただくことができました。本部広前に参拝し、四代金光様にお届けさせていただき、「仮死状態で生まれてきましたが、おかげを頂いて」と言いかけると、金光様は、「今はおかげ頂いているじゃろう。どういう状態で生まれたにしても、生まれたことがおかげじゃ。私も生まれた時に何度もひきつけを起こしたと、大きくなってから教えられた。子どもが生まれたということは、お父さん、お母さんが生まれたということじゃ。よい子に育つようにということは、よい親に育つということじゃ。背が高いとか、ほかと比べてはいかん。生まれた時から違うのじゃから。本当に結構じゃった」とお言葉を頂きました。

 その時、とてもありがたい思いがしました。実は私自身、仮死状態で生まれてきたのです。

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 頂いた私のいのち

 私の母の実家は、戦前、台湾の教会でご用をしていました。終戦を迎えた後、引き揚げ教会や戦災教会の家族は、金光町の吉備乃家に住まわせてもらっていました。

 母は結婚前、盲腸炎で手術しました。当時、本部でご用していた母は、「しばらく安静にするように」と医師に言われたのに、みんなが忙しくしているからと、ご用に出ていました。それが原因で子宮と腸が癒着し、妊娠できないかもしれないと言われました。

 その後、子どもが産める体になったと言われて結婚しましたが、最初の子である私が生まれた時、子宮がまた癒着していたのか、仮死状態で生まれました。ただ体重が2,000グラムしかなかったので、狭くなっていた産道も通れたようです。医師は「もうこの子は助からない」と思ったのか、保育器にも入れてくれなかったそうです。

 冬でしたので、私が寝ている部屋を閉め切り、窓には天井から床までカーテンを吊り、火鉢にはやかんを載せ、布団に湯たんぽをいくつも入れるというように、大変だったそうです。

 当時、常在の教師がいなかった教会に、父が後継者として赴任しました。その年の暮れに私が生まれたので、「『今度来た教会の先生のところでは、子どもが死んだそうな』と言われては布教に差し支える。何としても、この子に命をお与えください』とご祈念して、助けていただいたのだ」と、小さい時から言われてきました。

 私が今、お道のご用を頂いている土台の1つは、私自身の出生時のおかげにあると思っています。本来なら無い命を頂いたのだから、神様のご用をしなければ命はないぞ、と言われてきました。反発もしましたが、どこか心の底では本当かもしれないと思ってきました。

 そして、同じように長男も仮死状態で生まれてきました。両親が、私や孫が仮死状態で生まれてきたことを、どれだけのこととして受けとめ、祈ってくれたのかと思います。私としては、長男の出生時の状態を医師から聞いた時に、「神様が、この子をご用に使ってやろうというおぼしめしを持っておられる。二代にわたって、育ててくださろうとしている」と感じることができ、「大変だ」という思いよりも、「ありがたい」という思いが強く湧いてきました。

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 「神心となって」

 子どもが苦しむことは、親の苦しみです。子どもが助かることは、親の助かりです。仮死状態で生まれた長男が助かったのは、親である私の助かりですが、別の意味でもおかげだったという思いがします。  自分が生まれてきた時のことを覚えている人はいません。私自身の出生時のおかげも、親や周りから聞かされてきたのであり、私が意識的に経験したのではありません。ところが、長男が同じような状態で生まれたことで、あらためて私自身が頂いたおかげをどれほど自覚しているかと、神様から問われているように思います。

 教主金光様が、「神と人とはフィフティー・フィフティーではありません」と仰せになったように、神様と人間は決して対等の関係ではありません。天地金乃神様は、絶対的な包容力をもって人間や万物を生かしてくださり、助けようとしてくださっています。人間は神様に生かされて、はじめて生きていける存在なのです。

 そのような人間に、天地金乃神様は、人間が人間としての役目を務めていくこと、すなわち、神様がお守りくださることを悟り、少しでもそのご恩に報いさせていただくことで、「氏子あっての神、神あっての氏子、あいよかけよで立ち行く」という関係を付けてくださるのです。

 また、親子の関係について言えば、親は子どもを授かる前から神様にお願いし、母親の胎内で育っている間もずっと願っています。神様が人間の助かりを先に願ってくださっているように、親と子もまたフィフティー・フィフティーの関係とは言えないように思うのです。

 生涯にわたって人と人との関係を付けていく基盤となる親子の関係が、フィフティー・フィフティーの関係から始まるのではないという事実を、「神人あいよかけよの生活運動」に関わらせて言うならば、人と人との関係において、神様が人間にかけてくださっている心をもって、つながり合う関係を広げていくことが、「神人の道」を開くということであろうと思います。

 そして、「願い」にある「神心となって」とは、神様が人間の立ち行きを願いつづけてくださっているように、たとえ相手が応えてくれなくても、相手のことを願いつづけていくことが大切だ、ということです。そのような神心を持たせていただくために、御取次を願い、頂き、起きてくる事柄に込められた神様のおぼしめしを分からせていただく稽古が求められているのです。

(2012/09)

   



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