信心運動

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教報天地 11月号 この道の信心による助かりとは

 本部教庁では、8月28、29日、「『運動』に関する会議」を開催した。その際、「『神人あいよかけよの生活運動』について―共通認識を得るために―」と題して、江田泉布教一部次長が発題した内容を、2回に分けて紹介する。

投げかけられた問い

次の文章は、「神人あいよかけよの生活運動」発足直後の1月4日、故佐藤光俊前教務総長が、本部の信行期間朝の教話で語られた内容である。

 「『金光大神御覚書』『お知らせ事覚帳』にある大切なご神伝には、『神も助かり、氏子も立ち行く』とあり、『神が助かることになり』とのお言葉があるにもかかわらず、『神様が助かられる』ということが、これまでほとんど語られてこなかった。また、『あいよかけよ』という言葉は、単なる『助け合い』のような意味ではおっしゃっていないのに、教団全体がそう受け取りつつあるのはどういうことなのか。そこには、『人間が助かれば、神様もおのずと助かっておられるはずだ』という、こちら側の決めつけのようなものがあり、神様のご領分に人間が踏み込んで、『神様とはこういうものだ』とするような結果になっていないか。それで果たして信心になるのか、どうすることがこの道の信心になるのかという長年の問いが、私のなかで結びつきはじめた」

 このように佐藤先生は、私たちにさまざまな「問い」を投げかけ、同時にご自身も求め続けておられた。「長年の問いが、私のなかで結びつきはじめた」ということとして、このたびの「運動」の「願い」を見ると、佐藤先生の「どうすることがこの道の信心になるのか」という「問い」を求めていく筋道が、「運動」の「願い」に込められているということであり、その「問い」は他人事ではなく、私自身の身に迫る大きな「問い」でもあった。

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 「信心」とは何か

 私が在籍する大分県大鶴教会の初代教会長・江田米蔵師は、不治の病を苦にし、自殺を考えていた時、父親から「今のお前では死んでも助からないから、日田(大分県日田教会)の金光様(堀尾保治師)に行って、話をよく聞いて、それから死ね」と言われ、その言葉のままに日田教会でお取次を頂き、病気が全快したという。しかし、そのような話を聞かされても、初代にまみえたことのない私には、とくに参考にはならなかった。

 言い換えれば、「どうすれば人が助かるのか」が分からないのである。ただ、人が助かるためのヒントとして与えられているのが、「お取次の不思議な働きによって、おかげが頂ける」「話を聞いて助かる道」「お礼を土台にした生活」「徳の高い先生のご祈念力」といったことであるが、これもよくよくのところは分からない。

 しかし、このたびの「神人あいよかけよの生活運動」を求めれば求めるほど、これまで私が行き詰っていた問題を解(ほど)いていってくれる実感がある。つまり、さまざまな「問い」を答えの方向へと導いてくれるということである。

 「どうすることがこの道の信心になるのか」「どうすれば人が助かるのか」「どうなった状態を人が助かったというのか」「何を取次ぐのか」「ご神願とは何か」「生神金光大神取次とは何か」「ご立教の意義とは何か」「『神人の道』とはどういう道なのか」「教話とは何か」「どのように祈ればいいのか」。こうした大切な「問い」を求める糸口さえ分からなかったのに、それが「運動」の「願い」に込められているということである。

 また、「運動」の「願い」を土台に、教祖様や歴代金光様のご内容を頂き直したものが、本年六月に本部から発行した「『神人の道』を一人ひとりの生活に」と題する「運動」パンフレットである。それを受けて各教会で、先覚・先師や教会の初代の信心に迫ることによって、それぞれの教会に伝わる教説と金光大神様の信心とのつながりが明らかになり、力あるものとして蘇るとともに、それが全教的に共有できる教義ともなり、そのことによっておかげの事実が全教的に次々と現れていくことが、「運動」の成功のイメージと考えられる。

 そこで私の場合、親教会が日田教会であり、初代教会長が堀尾保治師なので、ここでは同師の信心から「運動」の中身に迫ってみたい。

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 信心の確認事項

 次の文章は、堀尾師の師匠である甘木教会初代教会長・安武松太郎師が、師に対して行った確認事項である。多くの方を信心に導かれたお2人の会話は、非常に示唆深いものがある。

 「私が日田布教後、3、4年(大正6年頃)も過ぎてでありましたが、日田教会大祭の翌日、私の師匠・安武松太郎師と、2人差し向かいでいろいろ道のうえのことをみ教えいただいていた時、『いかほど目覚ましい霊験を受けても、それだけではなかなか信心が長続きせぬ。天地のご恩徳のなかに、日々生かされていることを、よく理解させておかねばならぬ』と、しみじみ仰せられたその点が、お取次の大変努力せねばならぬところであると思います」

 ここで注目すべきは、安武師が、「目覚ましい霊験を受ける」ということを目的とされておらず、あくまでも「信心が長続き」することに力点が置かれているところである。ここから、「神も助かり、氏子も立ち行く」という本教の救済観が垣間見られる。つまり、「人が助かりさえすればよい」という助かりの定義が、「病気が治る」「難儀がなくなる」ということではなく、「信心が長続き」する、もしくは「この道の信心をする、信心になる」ということが、人の助かりとして語られているということである。

 また、同時代に生きられた高橋正雄師(元・金光教教監)が、「立ち行くとは」ということを次のように述べられている。

 「この死んでいくはずの肉体のなかに、永遠に生きたまう神が生まれ、神が生きられることにならなければ、立ち行くことになったとはどうしても言えないのであります。誠に神と人間との不思議なご縁であります」

 このお言葉からも、「この道の信心による助かり」とはどういうことなのかが再確認できる。そして、堀尾師は先の確認事項を押さえて、次のように語られている。

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 助かりの筋道

 「私どもが教え込まれたお取次の仕方は、多くは、おかげを頂こうと思えば、まず信心をせねばならぬ。本来、信心は、人として歩ませていただかねばならぬ大切な道であるが、その信心の徳によって、おかげを頂くのである。信心とはこういうわけでありますぞ、神様とはこういうお方でありますぞ、と教え込まれておりますが、教祖は、『此方(このかた)の道は祈念祈祷で助かるのではない。話で助かるのである』と仰せられている。決して一様に型に入れたようにはいかぬから、ご祈念しておかげを頂いてから、分からせてもよろしいでしょうが、先に分からせておくほうが確かであります。

 自分の体を授けた神様であった。こうやって目が見え、ものが言えるのも、神様のおかげであった。衣食住の原料すべて、お授けくださったものである。天地のお徳によって生かされているのであるという神様の神徳が分かると、これまで天地のご恩も知らず、わが身わが物とのみ思っていたことが大きな誤りであった。真に相済まぬことであったと、おわびの一念が起きてくる。

 『真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり』とみ教えくだされてありますように、たちまちおかげを頂くことは大変に多いようであります。要するに、天地の神徳に真に生かされていることを切に悟り、花を見ても、水を見ても、一切神の氏子を恵ませたまうものと分かって感謝を捧げる信心は、よほど進んだ確かな信心であります」

 この言葉は、堀尾師の助かりの筋道であり、「御取次を願い 頂き 神のおかげにめざめ お礼と喜びの生活をすすめ」という内容として受け取ることができる。

 また、「おかげを頂こうと思えば、まず信心をせねばならぬ。本来、信心は、人として歩ませていただかねばならぬ大切な道であるが、その信心の徳によって、おかげを頂くのである」という内容について、この視点をもって教祖様のご理解に迫らせていただくと、「信心すればおかげになります」というご理解が非常に多いことに気づかされる。

 さらに注目すべきこととして、「拝むと言うな、願い届けいたしてあげましょうと申してよし。頼む氏子の心で頼めいと申して聞かせい、わが心におかげはあり。明治5壬申7月28日」(覚帳16─19─3)というお知らせから拝察すると、「拝んでください」という氏子に対して、「神様には願いをお届けしておきますから、あとは信心すればおかげになります」ということの確認であり、これが取次を願い頂く意義とも受け取れる。

 すなわち、生神金光大神取次によって、神様に願いが届けられ、神様に届けられた願いが、本人の信心によって成就していくという取次の構図、もしくは本教信心による助かりの筋道が、これらのことから確認できるのである。

(続く)
(2012/11)

   



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