信心運動

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教報天地 12月号 神様を知らないという難儀

 前号に引き続き、今年8月に開催した「『運動』に関する会議」で、江田布教一部次長が「『神人あいよかけよの生活運動』について―共通認識を得るために―」と題して行った発題の内容を紹介する
この道のおかげとは

 前号では、「人が助かる」という「助かり」の定義が、「病気が治る」「難儀がなくなる」ということだけではなく、「この道の信心をする」ことであると、先覚先師が語られていたこと。また、その視点から金光教教典を頂くと、「信心すればおかげになります」という教祖様のご理解が非常に多いことについて触れた。

 さらに「おかげ」の定義について考察していくが、大分県日田教会の堀尾保治師は、「おかげ」について次のように語られている。

 「『おかげ』と一口に申しますなかに、大体に二様の意味があるようであります。病苦災難などにつき神様に助けられたという、すなわち、霊験あるいはご利益のことを普通にはおかげと申しますが、これは信心により現れる霊徳でありまして、み教えは、『今月今日で一心に頼め。おかげは和賀心にあり』『神信心してみかげのあるを不思議とは言うまじきものぞ』『祈りてみかげのあるもなきも、わが心なり』など仰せられてありますが、これはいわば狭い意味のおかげであります。

 一方、御理解第3節『天地の間に氏子おっておかげを知らず…』、第78節『神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる…』などと仰せられてあります。(この)おかげは、広い意味の天地の恩徳のことを指されているように思われます。

 この広い意味のおかげ、天地のご恩徳を分からせてもらうところから信心が起こり、その信心によって霊験を頂くので、天地の恩を感じることが深ければ深いほど、信心は確かになり、本筋に進んでいくのであります。それから、次には神様のみ心がだんだん分かってくるようになります。神様と申しますなかに、神心、すなわち神様のご慈愛と神慮、すなわち神様のお計らいが分かるようになる」(『信心の成長』から)

 また、「おかげ」という言葉について、明治6年10月10日のご神伝に、「天地の間に氏子おっておかげを知らず」「氏子、信心いたしておかげ受け」「願う氏子におかげを授け」とあり、さらに明治6年旧3月15日の天地書附に、「おかげは和賀心にあり」とある。ここに挙げた四つの「おかげ」が、それぞれに何を意味しているのかの関連性を明らかにしたいが、まだ結論に至っていない。

 そうとして言えるのが、「信心せんでもおかげはやってある」というおかげ、願う氏子に授けられるおかげ、信心しなければ受けられないおかげ、信心しなければ気づくことができないおかげなど、「おかげ」といってもさまざまな意味があるにもかかわらず、区別せずに使われている場合が多い。実際、「神のおかげにめざめ」の「おかげ」とは、どういうおかげを指しているかも、共通認識ができていないように思う。

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 神のおかげにめざめる

 さらに堀尾師は、「神のおかげにめざめ」るということについて、次のように述べている。

 「本教の信心の内容が、大体に信頼と感謝と奉仕の3つの要素から成っているように思うことを述べたのであります。その信心がすなわち生活であり、したがって生活そのものが本教の信心であって、これ真の人生なりと信じるのであります。そして、その信頼、感謝、奉仕の信念の拠って起こる源泉、根本の基調を成すものは、わが身の真実、世間の実相、『わが身がわが自由にならぬ』『障子一重がままならぬ人の身』であり、常住天地の神徳のなかに生かされてあることに目覚め、これを的確に把握するところにあると思うのであります。信心生活の基調は、わが身の真実、自己の正体を、正しく見極めるところにあって、ここより信心生活の一切が発足するのであります」(『信心の成長』から)

 この内容は、師ご自身が幼少から体が弱く、あらゆる治療や神仏にすがってもおかげを頂けなかった体験と、「神のおかげにめざめ」ることによって、丈夫な体になるというおかげを頂かれた体験を基盤にして、常にそこに立ち返りながら、日に日に「神のおかげにめざめ」ることをされ、そのご内容をもって、お取次のご用に当たられていた、と拝察することができる。

 ちなみに高橋正雄師は、「自分ほどめぐりの深い者はいない」との自覚に立たれ、そのような自分に、「なぜ神様はこれほどまでにおかげをくださるのか」というところから、日に日に「神のおかげにめざめ」ることをされた、と聞いている。

 いずれにせよ、先覚先師はそれぞれに、「神のおかげにめざめ」る体験をされ、それを深めて、日に日に「神のおかげにめざめ」るところから一日が始まり、お取次に専念されたのであろう。四代金光様の

 「賜びしいのちあるありて今日も目ざめたり目ざめしことはありがたきかな」というお歌の心も、同様のこととして頂くことができる。

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 取次のニーズとシーズ

 以上のことを踏まえて、私の祖父である江田米蔵師(大分県大鶴教会初代教会長)が、不治の病からおかげを頂いたことを、あらためて求め直してみたい。

 初代は、自分の病が妻に感染して亡くなったことで、どん底の状態で自殺を試みるが、「今のお前では死んでも助からない。日田(日田教会)の金光様(堀尾保治師)にお参りして、話をよく聞いて、それから死ね」という父親の勧めのままに、日田教会でお取次を頂いた。自分の現状を伝え、最後に「助かりますでしょうか」と尋ねると、堀尾師はしばらくご祈念をされた後、おもむろに「ところで、あなたは男か、女か」と問われた。

 その時、初代はその突飛な質問に驚きながらも、「男であると思うております」と答えた。そこから次のような問答が始まった。

 師「その男であるあなたの体は、誰に授けてもらったのか」
 祖父「はい、両親から頂きました」
 師「その両親の体は、誰から頂いたのか」
 祖父「はい、両親の両親からであります」
 師「少し質問を変えよう。あなたの髪の毛の一本一本を作ったのは誰か」
 祖父「……」
 師「あなたの体格をこのようにして、顔はこのように、髪の毛はこのようにと言うて、作ってくださったのは誰か」
 祖父「……」

 このような問答の後、天地の親神様の存在とお働きを懇々と教えられ、最後に祖父は、「私の命はそういう命でありましたかあ」と得心し、教会を後にした。ありがたくて、もったいなくて、ご神前にお尻を向けることができず、膝退(しったい)をするようにお広前から下がり、教会のほうを振り返り振り返り、手を合わせながら帰った。

 その日から信心の稽古に努め、数日もすると、全身からうみが出て、病気全快のおかげを頂いた。そのありがたさから、いっそう信心の稽古に励み、やがて金光教教師にお引き立ていただくことになったのである。

 この話を、以前の私は、「お取次を頂いたら、病気が治った」という話にしか聞いていなかった。しかし、あらためて「運動」の視点からとらえ直してみると、お取次を願う者の要求(ニーズ)と、取次者が提供するもの(シーズ)には大きな違いがあることに気づいた。

 祖父は、「病気を治したい」というニーズだけでお取次を願った。しかし、堀尾師から、天地の親神様に生かされて生きているということを教えられ、「私の命はそういう命でありましたかあ」と悟った。つまり、結界取次のシーズとは、まさにこの「神のおかげにめざめ」と言えるであろう。

 別言すれば、「病気という難儀を背負った氏子が、助けを求めてきた」という視点ではなく、「神様を知らないという難儀を背負った氏子が、病気をきっかけに助けを求めてきた」と言える。

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 先人たちのお道案内

 今も私には、初代についてはっきりしないことがある。それは、天地の親神様に生かされて生きていることが分かった初代が、どのような信心をしておかげを頂いたのかということ。つまり、お取次を一度頂いただけの青年が、奇跡的なおかげを頂くまでの短期間、どのような信心生活を実践したのかということである。

 そのことを求める時、堀尾師は、「神のおかげにめざめ」ることによって、「信心が生まれる」という旨のことを言われている。師の教話録『信心の成長』のなかには、「お道案内の概略を聞いただけで、非常に喜んで信心に入りました」という一文がある。

 この「お道案内の概略」というものが何を指しているのか。いずれにせよ、神様を知らないという難儀を抱え、今から信心が始まろうとしている人に不可欠な要素を凝縮した「お道案内」を、先覚先師たちが持っておられたことは想像できる。そこには、神様のこと、教祖様のこと、金光様のこと、天地のこと、信心のこと、めぐりのこと、おかげのこと、天地書附のことなどが含まれていたと推測する。

 また、参拝者が信心を進めるについて、先人たちのところでは、時として「○日後を楽しみに」という日切りのご理解がある。「信心すればおかげになる」というところから、「この氏子であれば、○日後には信心が身につくであろう」という確信のもとに、おっしゃっていたのではないかという仮説も立つ。

 以上のように、先人の信心の歩みと内容を頂こうとする時、おのずと「運動」の「願い」に重なってくる。御取次を願い頂き、天地に生かされているという神のおかげにめざめ、お礼と喜びの生活をすすめるなかに、結果としておかげを頂き、さらにそこから神のおかげにめざめ、お礼と喜びの生活が深まり、神様のご用にお使いいただける働きが生まれていく。このことが「神も助かり、氏子も立ち行く」ということになり、これを「この道の信心による助かりの筋道」として確認したい。

 以上が、教師としての、「運動」の軸になる部分と言えるのではないだろうか。

(2012/12)

   



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