神人あいよかけよの生活運動

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教報天地 6月号 神人あいよかけよの生活運動


神人・親子の道

 本部天地金乃神大祭第1日の前夜、本部広前で教話が行われ、森定光治師(香川・玉藻)が話された内容を抜粋して紹介いたします。


教祖様の親子観
 教祖様は、文化11(1814)年8月16日、新暦の9月29日にお生まれになりました。父君は香取十平、母君は「しも」と申されます。
 幼名を源七といわれ、お体が弱かったことから、お父様はたびたび教祖様をおぶって近くの神社にお参りされ、「着物はいつも背中から破れた」と伝えられています。また、教祖様が12歳の時に川手家に養子に入られましたが、実母様は、時に里帰りされた教祖様の後を見つからないようについて行かれ、ご養子先で教祖様が快く迎え入れてもらっているか様子をうかがい、安心して戻っていかれたそうです。
 教祖様は、ご養子という遠慮のあるなかで、何か実父母に喜んでもらえることはないかと思案なされ、新しいわらじを編み、それを履いて里帰りされ、帰る際に、実父様の古いわらじを黙ってお履きになって家路につかれました。わが子が編んだ新しいわらじを見られた実父様は、わが子の気持ちをありがたく受け取られ、後に神参りの時だけ、そのわらじをお履きになられたということです。
 私は、この教祖様の親と子の心の交流が、どちらか一方的なものが微塵(みじん)もない、素晴らしいものだと思います。さらに、これらの親子の実体験が、教祖様の後々の神人(しんじん)の土台となる親子観として、醸成されていったのではないかと思わせられるのです。
 教祖様の中年期までの人生は壮絶なものです。起きてきた事柄だけでも、人として、親として、出遭いたくないことばかりです。次々にお子様を亡くされ、養父を亡くされ、「立教神伝」を頂かれた時には、すでに実父母も亡くされ、何も頼るものがないなか、42歳のご大患の折、はじめて神様と出会われたのです。
 その後の教祖様のご信心には、親から伝えられた神様を敬う心、子を思う親の心が根深くあるように思われます。そうした生きた親子の関わり合いがあって、信心授受の実際が生まれてくるのだと思うのです。

よう鳴っとったがなあ
 私は小学生の頃から、生まれ育った教会で、信者さんから手ほどきを受けて篳篥(ひちりき)のご用を頂いていました。篳篥は細い管に葦(あし)で出来た舌(ぜつ)が刺してあり、力を込めて吹かないと音が出ません。私は、その信者さんから譲り受けた舌で演奏をしていました。
 習い始めて数年たった頃、月例祭が日曜日と重なりました。その祭典が始まる間際、「今日のご用は、あなた一人です」と言われました。ろくに練習もせず、舌の状態もベストでないなかで、案の定、途中で音が出なくなったり、音程が外れ、散々な演奏をしてしまいました。
 私は、大切な祭典を自分が邪魔してしまったような思いになり、祭典後、教会長である父のところに行き、「先ほどはすみませんでした」と申しました。すると父から、「そうか? よう鳴っとったがなあ」と言われ、大変驚きました。
 自分のなかでは、どこか「親のため、祭典のため」と思って奏楽していたのに、その一言で、「神様のご用」として篳篥を吹いていたということを悟らせていただきました。父の言葉にはさまざまな意味や思いがあり、まさにその言葉をとおして、神様のお声を聞いたように感じられました。
 神様からご覧になれば、遊びたい盛りの子どもが月例祭のお広前にお引き寄せを頂き、典楽のご用をしている姿をお喜びにならないはずがありません。私自身の気持ちはどうであれ、ご用ができていることそのものが、ありがたく尊いことであり、「この子の将来が楽しみだ」という神様のみ思いも感じさせていただいたのです。さらに、この神様のみ心につながった親の言葉は、今も忘れられないものであり、自分もそういうことができる親にならせてもらいたいと思っています。人が育つには、そうした生きた体験や手本が大切であり、私はこの体験を家族にも話しています。
 現在、大学生の長男が笙(しょう)、次男が龍笛(りゅうてき)、中学生の長女が篳篥のご用をしています。私が教えたこともあって、祭典時に演奏を聴いていると、「もっとこうしたらよくなるのに」と思うことがあります。それをつい口にすると、妻から「実家のお父さんなら、そういうことをおっしゃらないのに」とよく言われます。
 今年一月のことです。月例祭が日曜日に重なり、娘が一人で篳篥を吹くことになりました。娘は必要以上に緊張し、自分の実力が発揮できないまま祭典が終わりました。ご用してくれただけでもありがたいと思っていた私は、「ようご用ができたなあ」と声をかけようとすると、娘が「お父さん、ひどい演奏でごめんなさい」と言いました。私は思わず、「そうか? よう鳴っとったがなあ。ご用ができて、神様はとても喜んでおられるように思うがなあ」と申しました。そして、あの少年期の自分と同じ状況を頂いたことに、思わず手を合わせ、「神様、ありがとうございます」とお礼を申さずにはいられませんでした。

人が神になる道
 教祖様は、「一粒万倍といおうが。一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ」とみ教えくださっています。また、山本定次郎先生の伝えには、「信心には何を目的にすればよいか。病人は痛いのを治してもらいたいと願い、健康な者は、作がよくできるようにとか、商売が繁盛するようにとか願って参るが、それは一時のことである。信心するには、末の安心を楽しみにしないと信心が続かない。末の安心のためには、自分一人がおかげを受けただけではならず、子孫に伝わる信心をすることが大切である。…よい子供を得るということを、信心の第一の目的としなければならない。一代の信心は神様が喜ばれない」とあります。良いことを受けた子は良いことを人にするようになり、祈られた子は人のことを祈るようになっていきます。
 「神人・親子の道」というのは、子ども側の視線だけでは親のことが分からない、また、親の思いだけでも子どものことが分からないように、人間から物事や事態を見ただけでは神様の本当のみ思いは分かりません。親と子、神と人、その両方の視点をいつも意識し、問うていくことがとても大切だと思います。
 市村光五郎さんの伝えに、「此方が天地金乃神を巳の年(市村光五郎)の父母と授けてやろう。親と思えば子と思う。神を親と思って信心をしていれば、神の方から子と思う」とあります。教祖様のお広前にお参りすると、「おまえに、天地金乃神様をお父さん、お母さんとして授けるぞ」とおっしゃられたのです。
 天を仰いでお父さんと思い、地を拝んでお母さんと思う気持ちが生まれてくれば、自分の行動が変わってきます。たとえば、土地をただ掃除するという姿勢から、「お母さんの体が汚れている。きれいにしなければ」と、せずにはおられない気持ちでごみを拾うことになっていくのではないでしょうか。天地金乃神様を自分の父母と頂いたらどうなるか。そこを本気で頂かないと、教祖様が出会われた天地金乃神様に出会うことができないのではないかと思います。
 人を助けて神になるとは、子を助けて(育てて)親になるということと同質であり、子が親になるということは、人が神に成長していくことにつながることだと思います。私たちの信心のお手本は、どこまでも教祖様にあり、神様に喜んでいただけるような生き方、親孝行になるような生き方、そして、人が神になる神人(しんじん)にならせていただくということが、親孝行の究極です。それが、「親子の道」からつながる「神人の道」であろうと思うのです。
(2014/6)

   



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