神人あいよかけよの生活運動

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教報天地 10月号 神人あいよかけよの生活運動


最高、最善、最大のおかげ

本部広前月例祭前夜(7月9日)の教話で、菊池敬子師(福岡・新田原)が話された内容を抜粋して紹介いたします。


霊様のお働き
 今年は、三代金光様の奥様であられる金光キクヨ姫様の50年のお年です。私は6月19日、金光様のお宅で仕えられる霊祭で祭員のご用をさせていただきました。直前まで緊張していたのですが、いざ祭典が始まると不思議と落ち着いた気持ちになり、涙が出るほどありがたい気持ちが湧いてきました。
 14年前、妹がエコノミークラス症候群という病気で突然倒れ、1週間後、26歳の若さで亡くなりました。その数年前まで、妹は金光様のお宅で2年間ご用させていただいており、私も同じ場所で祭員のご用させていただいていることに、感極まる思いがしました。きっと妹も、私のご用がきちんと仕えられるように見守ってくれていたのだと思います。
 今年1月10日、父が亡くなりました。福岡県甘木教会の信徒として、幼い頃から教会に参拝し、甘木教会の初代教会長や二代教会長から、お道の教師になるように願われたのですが、父はそれを受けられずにいたそうです。そんなある日、初代が羽をつけて父を迎えに来た夢を見て、ご用に立たせていただこうと決心したということです。
 教会へ修行に入り、お道の教師となりました。二代教会長の言われるままに母と結婚し、8年後、新田原教会に新規布教に出ました。私が5歳で、兄と妹の5人家族でした。教会は来年、布教50年を迎えます。

氏子のためにならぬことは
 私が中学や高校の時は、父に反抗ばかりして、あまり好きになれませんでした。しかし、高校を卒業後、金光教学院に入って教師にならせていただき、私がご本部でご用を頂いた時も、結婚して子どもが出来、身の周りに問題が起きてきた時も、振り返ればいつも大切な時期に父の教導を受けてきました。
 妹が倒れた時、病院に駆けつけた父は、「胸の張り裂けるような悲しみも、身の崩れるばかりの苦しみに出遭っても、神様は決して氏子のためにならぬことは何一つなさらない。今、自分に与えられていることが、最高、最善、最大のおかげと頂けば、今後はおかげになる。この道にあきらめはない。あきらめたのでは道はない。神様のお立場にあきらめがあろうか」というみ教えを、母と私に読んで聞かせ、「このみ教えをしっかり心に置いて、まさえ(妹)の身の上に起きていることを、信心で受けさせてもらわなければならない」と話してくれました。
 父は妹が倒れたと聞いた時、お結界でいろいろな本を開き、そのみ教えが目に止まったそうです。父自身、今起きていることを何とか信心で受けさせてもらおうと、必死で神様におすがりしていたのだと思います。
 しかし、当時の私は、このみ教えを素直に受ける気持ちになれず、人工呼吸器をつけられた妹の姿を見て、「これがどうして、最高、最善、最大のおかげなのだろう」と、ただ涙を流すばかりでした。しかし、妹が亡くなって時が流れ、いろいろなことを思い返す時、あらためてこのみ教えどおりだったと思わせてもらいました。
 妹が亡くなる半年前に、1歳8か月の甥(おい)が交通事故で亡くなりました。甥と妹が続けて亡くなって数か月した頃、父は教会の月例祭の教話で、「人間心で言えば、わが子や孫を亡くすという、胸の張り裂けるような悲しい出来事ではありますが、この経験をさせていただいたおかげで、これから教師として、同じような経験をされた信者さんの気持ちが分かることができます。そういう意味では、教導がしやすくなりました」と申しました。私はそれを聞いて、どれほどの思いで父が話しているのだろうと思い、あらためて父の信心の厳しさ、すごさ、素晴らしさを分からせていただいた思いがしました。

父の信心につながって
 神様一筋にご用してきた父ですが、数年前にアルツハイマーを発病し、最期は家族の顔さえ分からなくなりました。幼子のようになった父に、「お父さんはだんだん神様になっているんやね」と言うと、コクンとうなづいた姿が印象に残っています。
 亡くなる1年前から、食道の筋肉が衰えて物が通らなくなり、身長は170センチもあるのに、体重は30キロほどになりました。目がくぼみ、頬(ほお)もこけ、かわいそうな姿でしたが、兄嫁が「まさに身をもって神様に進化している姿だと思うよ」と言いました。最期は、主治医の先生から、「苦しまず、自然に息を引き取ったようでした。信仰をされてきた人だなという、素晴らしい患者さんでした」と言われました。
 亡くなったという知らせを受け、娘と一緒に教会に帰った夜、父の隣の部屋で休ませてもらいました。翌朝、娘が、「白い着物を着たおじいちゃんが、元気だった頃に戻って、『楽になった』って言った夢を見た」と話してくれました。父自身、今度は霊(みたま)様としてご用ができることを喜んでいたのではないかと思います。そんな思いを娘の夢をとおして、私たちに教えてくれたのだと思います。亡くなった後も、私たちに信心する者のあり方を教えてくれた父でした。
 母が、入院していた父に次のような手紙を書きました。
 「先生が入院しなければならない状態になり、家族のめぐりを担ってくれているのだと思います。先生、ありがとう。寝たきりでも、心では一生懸命ご用されていることでしょう。布教当時から、毎朝3時半に起きて外に出、金光様のお出ましをお迎えして、その日のご用が始まりましたね。どんなに暑い夏でも羽織袴を着たまま、横になって休憩することはありませんでしたね。三度の食事が済むと、すぐにお結界に向かわれましたね。寒い冬も暖房なしに、お結界で一日中座られましたね。本当にお疲れさまでした。どうぞゆっくりしてください」
 その頃の父は何も分からない状態でしたが、母が父に読んであげたと言っていました。夫婦というきずなを越えた信心でつながる両親の姿に、娘として生まれてきたことをありがたく思いました。
 1年の間に身内を続けて亡くすという経験をしましたが、「信心させていただいても、悲しい出来事は起きてくる。その時、どのように受け取らせていただくかが大切なのだ」と、私も信心で受けさせていただくことができました。これから先、どのようなことが起きてきても、「今、自分に与えられていることが、最高、最善、最大の神様からのおかげなのだ」と身をもって教えてくれた両親の信心に、少しでも近づけるようにならせていただきたいと思っています。
(2014/10)




   



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